18日は西荻アパレシーダでシューミー(ボーカル)との夢デュオです
やはり私はいまだに中央線から離れたくない感じで西荻でも相変わらずゴチャゴチャ活動していてそれが好きなのです。
私は中央線の吉祥寺が生まれた時からのホームタウンで小学校は途中から国立でした。
中高大と吉祥寺の成蹊だったせいか中央線の郊外がホッとして和むし感覚的にしっくりきます。
アパレシーダは西荻に行くのが嬉しくなるような小さくて夢のある可愛いお店です。
やはり私はいまだに中央線から離れたくない感じで西荻でも相変わらずゴチャゴチャ活動していてそれが好きなのです。
私は中央線の吉祥寺が生まれた時からのホームタウンで小学校は途中から国立でした。
中高大と吉祥寺の成蹊だったせいか中央線の郊外がホッとして和むし感覚的にしっくりきます。
アパレシーダは西荻に行くのが嬉しくなるような小さくて夢のある可愛いお店です。
ライブハウスに来ていた整体の方に見てもらったところどうも腱鞘炎の重症らしい。?
左腕のシビレと傷みがひどくて毎朝腕の激痛のせいで目が覚めて寝れない日々が続いていた。
「腱鞘炎を治すにはギターを弾くな!だけど忙しいのダメだからせめて家にいる時はギターを弾かないように」
と言われて1ヶ月以上がたった。
さすがに腕の激痛は治まったのだがシビレはまだひどい。
いやはや、家でギターを弾かないでいるのはいい加減煮詰まる。
まだ演奏に向かうメンタル面やハッピーモチベーションは悪くないが足かせをかけられた感じでいささか参る。
ナッテルでベースの瀬尾くん企画のライブだった。
チューバの高岡とも久しぶり。
二人とも進化していて成長まっさかり。
音の共存や音のやり取りに充実感を感じて楽しいインプロだった。
最近、気圧の変化を感じて少し気分がモヤッとしてきていたから彼らとライブできてスッキリした。
自分も少しは進化成長しているかな?
縁あって出会って演奏する。
何年もたってから再び共演。
そのつど音を感じ合いながらお互いの進化や成長を確認し合うとともに今を感じ合う。
嬉しいじゃないの!
ありがたいことです。
家に帰りフェイスブックを見ていたら不破がアップしていた昔の渋さのユーチュウブが目にとまったから見てみた。
おーっ、なんと懐かしいことよ!
みな若い!みな素敵じゃないの!
渋さの皆と楽しい時間を共有できてよかったなと思った。
なんといっても子供のピアノと共演するのは楽しい。
童謡で小さい子に純心で無垢なピアノを弾かれると、なんか心洗われてきて心ときめいて燃えてくるのだ。
子供の可愛すぎる合唱にまたもやクネクネになり自分の後ろで子供が叩くドラムもなんかドシャバタしてるんだけどいいから一生懸命やりたくなってしまう。
今年も童謡体験にJポップ体験といつにない新鮮な体験日になった。
しかしジャズの懐かしい曲やらロックやらJポップなど慣れていないポップな曲は自分には難しいから余裕なんてないけどいつもやっていないから楽しいのだ。
今回初めてやるピアノの小谷さん。めったにやらないベースの桜井君。たまにしかやらないドラムの亀山さん。
基本的にジャズミュージシャンは皆さんジャズという国の同じ学校の人みたいな感覚が昔からあって心嬉しいものがある。
飾らない亀山夫婦のやる発表会は毎年和みます。
亀山夫婦様、暖かい時間をありがとうございました。
夜中はやはりギターを弾きたくなる。
ポンセを数曲弾いてから久しぶりにコスト43のエチュ−ドを弾きたくなった。
「やるぞっ」という気合いスイッチがオン。
弾いているうちに43曲全部を弾きたくなってしまった。
途中で止めようとも思ったが止められそうにない。
気づくと1時過ぎから弾き始めて全部弾き終えるまで3時間近くかかってしまった。
アチャーっ、目がグルグルだあ。
目がチカレタ〜
ビール飲んで一息して寝るかいな。
東日本大震災から3年。
約1万8千人の方が亡くなられたりいまだに行方不明だったり。
ここ1週間は特に3年前のことを意識しながら震災関係のテレビや新聞記事もいつも以上に見ていました。
そんなさ中、東京大空襲に関する番組が目にとまりまったのです。
東京大空襲による死者は10万人にもなったそうです。
その年はかつてないくらい悲惨で異常な年だった。
「終戦の年とはそうだったんだ!」
あらためて驚いたので昭和45年という終戦の年を想像しました。
戦争体験はないのでとても想像しきれませんがその年には東京のみならず日本の各都市に空襲がありしかも広島と長崎に原爆が投下されました。
そして中国大陸からの日本人避難民をはじめ南太平洋の各島や沖縄など戦地で亡くなった方を含めるとその年だけで亡くなった方は何十万人だったわけです。
そこらへんの事はある程度知ってはいましたがあらためて愕然としました。
決して忘れないという気持ち。
風化させないという気持ち。
復興という気持ち。
私の両親の経験した終戦。
当時の日本人のいろいろな思いと総意はどんなにか強かったのではないかと思います。
そしてその後の日本がある。
そして3年前の東日本大震災。
あらためて考えさせられる昨日今日です。
今朝がた、ピットインの藤村さんが亡くなったことを知りました。
藤村さんが癌の治療をしながらそれでもピットインに働きに来ていたのは知っていましたが、こうして悲報を聞いて残念でなりません。
藤村さんは僕にとってこの世界では先輩でした。
40年前、19才で新宿ピットインに出演し始めた頃、藤村さんはすでにピットインで働いていました。
当時ピットインで働く従業員の人は自分にとっては皆さん先輩であり、いい演奏ができなかった時は彼らに申し訳なくてうつ向いていたり気落ちして挨拶すらできずに帰ったり。
最初自分はそんなでした。
そんな中で昔から今も変わらず優しく接してくれたのが藤村さんでした。
幾度も藤村さんに演奏を誉められて救われた気持ちになったり自信を取り戻したりもしました。
ある日、藤村さんに私の藤村さんに対する思いを伝えました。
ミュージシャンの気持ちを考えた丁寧な音響に感謝していることやいつまでも自分の中では初心のままで藤村さんが先輩であるということを伝えると、そのたびにミュージシャンを持ち上げる謙虚な返事が帰ってきました。
ある日藤村さんに「いつ頃のピットインが思いで深くて好きですか」と聞くと「渡辺貞夫グループが出演していた頃」という返事が返ってきました。
同じ世代の自分にはその意味と彼がピットインで働き続ける原点となっていたあの頃の熱いジャズのことがすぐに理解できました。
あの頃の新宿とあの時代のエネルギー。新宿ピットインでアメリカから帰国した渡辺貞夫さんを筆頭に新たに進化し始めた日本のハートフルジャズ。
その顔は嬉しそうで藤村さんから熱い青春の思いを感じたのを覚えています。
よくキャリアをつんでいくといつのまにか勝手に偉くなったような気になって偉そうな言動や振る舞いをしだす人もいます。
しかし藤村さんは昔から終始変わらず物腰が低く何を話しかけても優しくて謙虚な答えが返ってきました。
これはなかなか真似できることではありません。
その都度偉いなあと思い
その人間の在り方を大したものだと心から尊敬していました。
新宿ピットインでの自分のギターを音響という立場から40年間支えてくれ聴いてくれた藤村さんが亡くなったのは正直言って悲しいです。
心より御冥福を祈ります。
まず心から彼の冥福を祈ります。
おそらく彼のことを知る人は少ないだろう。
自分の中ではとにかく素晴らしいピアニストだったのだ。
彼と出会ったのは中野ピグノウズでインプロセッションをし始めた頃だから2年ほど前だった。
とにかく群を抜いていた。
タッチ、音のクリアーさ、スピード感、そして尽きることのない表現衝動。そして演奏中は衝動に任せて止まらないらしくムダな事も考えていなそうだった。
彼がピアノを弾き始めて細かいパルスでの音をつめる表現に向かうとその衝動はもう止まらないから参加した誰もがついて行けなかった。
インプロにおいて彼の表現スタイルははっきりしていたために様々なスタイルの参加者とセッションをするとあまりに独壇場になっていた。
つまり彼の場合は徹底的にやる続けるフリージャズ的なアプローチに私は感じたのだ。
その場合は優しいだの温かいだの面白いだの言っていられなくなるくらい認めていい素晴らしい表現もあると思うのだ。
それで私は彼に「それだけ弾けるし自分のやり方で突っ走るだけならリーダーでやるかソロでやればいいしいろいろなレベルの人が参加するセッションにはもう来る必要もないと思う」と言ったのだった。
三回ほど参加して彼はセッションに来なくなっていた。
惚れたピアニストだからそれ以後は彼のことが何処でどうしているのか気になっていた。
その後いろいろわかったのは、彼には参加したCDもあり昔はサックスの菊地ナルヨシ君とも活動してた時期もあったりジャミンでインプロのセッションのリーダーもしていたり。
彼を知るジャズミュージシャンの中には彼の演奏に温かさ優しさ面白さがまだ欠けていると言う人もいたが彼は人間味を大切にしがちなジャズにありがちな価値観とは違う次元で表現していたはずだ。
様々な価値観とはどれも一長一短でどれも言ってみれば正解でもあり違う角度から見れば逆転する。
ヨーロッパなら彼は即座に絶賛されるピアニストだったと思う。
しかも成長する姿勢において謙虚だった彼の中では今からジャズの価値観であるヒューマンな魅力も育ち始めていたようだった。
私は彼を故人であるギターの高柳さんが生きていたら是非紹介したかったし高柳さんとずっと共演してきたベースの井野さんやドラムの山崎さんにも紹介したかった。
慎んで菊地君の御冥福を祈ります!
菊地潔君ありがとう!
昨日の亀山音楽スクール発表会のリハーサルでは二度ほど感じ入ることがあった。
自分が伴奏を担当する曲ではなかったけど、まだ低学年の子供達が自分の至近距離で合唱していた。
手を伸ばすと触れるくらいあまりに至近距離だったせいかその素直な姿で歌っている時のちょっとした体の動きや子供達の発してるエネルギーに感じ入った。
それは無垢で可愛いバイブレーションに囲まれているという喜びだった。
「うっ、なんだか太刀打ちできない喜びがある」。
もう1つはこれも自分が伴奏担当する曲ではなかったが女性のドラマーが発表会のためにバンドでJポップを練習していた。
みんなアマチュアだし上手いわけじゃないけど皆の人生がある中でこうして忙しい中集まってせえいっぱいやっている姿は心にくるものがあった。
聴きながら「バンドっていいなあ」「なんかいい」
Jポップの日常的な歌詞だって人の心とリンクして理屈抜きに感じることがある。
そんなことを思っていた。
音楽の素敵な瞬間は自分次第かニュートラルな状態でいればいつでも味わえたり起こりうるしジャンルも上手い下手も関係なく素敵な瞬間に出くわすことがあるのだ。
心動かされる素敵な瞬間は日常的に皆の表現する中で起きている。
心にくるという意味ではプロだとか一流アーティストの表現が特に素晴らしいというわけでもない。
感動という栄養素を補給する時間があってよかった。
来週、年に一度の亀山音楽教室の発表会がある。
今日はそのためのリハーサルだった。
今年一緒に伴奏するのは小谷さんというピアニストだった。
小谷さんの演奏は40年前に一度見たことがあった。
当時私は19才。
ジャズミュージシャンと言うだけで全てのミュージシャンを好きだったからできるだけ多くの日本のジャズミュージシャンを聴きたくてライブハウスに通っていた頃だった。
あれから40年。
小谷さんと共演できて嬉しかった。
最近のコメント