映画・テレビ

2014年3月12日 (水)

想像しかできないけど想像して愕然としました

東日本大震災から3年。

約1万8千人の方が亡くなられたりいまだに行方不明だったり。

ここ1週間は特に3年前のことを意識しながら震災関係のテレビや新聞記事もいつも以上に見ていました。

そんなさ中、東京大空襲に関する番組が目にとまりまったのです。

東京大空襲による死者は10万人にもなったそうです。

その年はかつてないくらい悲惨で異常な年だった。
「終戦の年とはそうだったんだ!」

あらためて驚いたので昭和45年という終戦の年を想像しました。
戦争体験はないのでとても想像しきれませんがその年には東京のみならず日本の各都市に空襲がありしかも広島と長崎に原爆が投下されました。

そして中国大陸からの日本人避難民をはじめ南太平洋の各島や沖縄など戦地で亡くなった方を含めるとその年だけで亡くなった方は何十万人だったわけです。

そこらへんの事はある程度知ってはいましたがあらためて愕然としました。

決して忘れないという気持ち。
風化させないという気持ち。
復興という気持ち。

私の両親の経験した終戦。
当時の日本人のいろいろな思いと総意はどんなにか強かったのではないかと思います。

そしてその後の日本がある。

そして3年前の東日本大震災。

あらためて考えさせられる昨日今日です。

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2014年1月15日 (水)

キング牧師とワシントン大行進

感動した!

BSではドキュメント物や歴史関係で興味深い番組を見つけるとボケッと見ていることがある。

半世紀前のアメリカ。
ケネディ大統領時代にワシントンで行われた黒人の人権を訴えた平和的な大行進と大集会。

ルーサーキング牧師の演説。マヘリアジャクソンの歌う姿。ジョーンバエズ、ボブディラン、ピーターポールアンドマリーなどの歌う姿。

感動的な歴史のひとこま。

やはりそこには音楽がある。

ジーンときました。

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2013年9月13日 (金)

キッドチャールズチャップリン

仕事に行く前にボケッとテレビ。

BSをつけたらチャップリンの映画だった。

うーん面白い!
まさに笑いのアートだっ!
なにもアートという言葉じゃなくてもいいが感動して涙した!

ハートに最高っ!

今の時代、再びチャップリンだっ!

みなさん
ぜひハートに栄養を。

今日は4時入りだけど遅刻。

スイマセン!

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2010年1月24日 (日)

また韓国ドラマにはまっちまっただ

昼の2時からやっている「私の名はサムソン」という韓国のドラマをボケッと見ていた。

キムソナという女優のはじけていて体当たり的な演技にすっかりハマってしまった。

内容は今日本でも多い漫画チックなタイプのドラマだけど自分にとってはとにかく面白い。
見え見えの展開と意外性。
馬鹿げていながら感動もするし腹を抱えて笑ってしまう時もある。

この手のドラマは一日一日の応急なリフレッシュやリセットにはうってつけだ。

昼に見る時は一時間ほど笑い流してからスッキリした気分で仕事に行く。
録画したビデオを夜中に見る時はやはり一日を笑い流してから寝る。

たまにはこの手のドラマも笑えたり感動できる人にとっては心の良薬になりうる。

これでよいのだ!

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2009年9月12日 (土)

現代は感動音痴か?

最近テレビを見ていると極端な現象に気付く。

やたら面白がる番組があるかと思えば別の番組では涙もんの感動の嵐。

若いミュージシャンの卵や若いリスナーたちと話しをしているとやたら面白がる傾向に気付く。

今のご時世だからか?

より面白い事とその反面忘れかけそうな強い感動に飢えているような気がする。

と思えば感動することや感動している事を恥ずかしがっているように感じる事もある。

刹那的に感じるかと思えば人はやはり感動を探しては感動して魂の自己バランスをとろうとしている気がする。
自分の魂のためにも自分の感性や感情と正直に向き合って感動していたい。

演奏するのはいまだに面白いし楽しい。
でも面白がってばかりいられない。
感動してギターを弾きたい。
感動してギターを弾いていたい。

昼に戦時中に日本の特攻隊を飛行場で見送るために国から奉仕活動を命じられた当時女高生だったお婆さんが思い出を回想した記録番組を見ていた。

それを見て自分が感動したと言っては失礼な気もするが、感動を通り越して涙が出た。

その当時の感動、葛藤、喜び、恋、怒り、失望、
友情、ささやかな幸せって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2009年4月21日 (火)

一瞬の大感動

昨日のお昼時に何気なくテレビを見ていた。

イギリスののど自慢コンテストだかベストパフォーマンスを決めるコンテストだかの予選で起きた出来事を紹介していた。

出てきたのは飾り気もなくみすぼらしいイギリスの片田舎を思わせる身なりのオバサン。

それを見た審査員ら著名人らの顔が写る。

どの顔も最初から諦め顔。「何かの間違えでしょ」「少しあざ笑うような顔」。
早く終わってほしそうな興味のなさそうな客のニヤニヤした顔が写る。

そんな中 彼女は歌い始めた。

歌い始めて数秒だろうか、審査員の表情が写る。
「うそ〜」「ん〜これは」。
あざ笑っていた顔が彼女の唄う歌と声を聴いて喜びの笑顔に変わっ行く。

しばらくするとみんなの表情が驚きと感動の表情に変わっていった。
感動のあまり泣き出す審査員。感動と喜びに溢れた表情のお客さんたち。

彼女が歌い終わると著名な審査員たちと大勢のお客さんたちはみなスタンドァップの大拍手。
ブラボーの嵐。
聴いていた人たちの目には涙がにじんでいた。

彼女は生まれてから男性と付き合う事もキスする事もなくつつましやかに生きてきたという。

歌うのは教会だけ。

亡くなった彼女の母親が「大勢の人の前で歌ってみなさい」と言っていたという。

母親だけが彼女の才能を見抜いていた。

恐らく彼女の唯一最高の恋人は神様。
彼女の魂は神様と共に。
彼女の歌は神様と共に。

感動した。

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2009年1月21日 (水)

オバマ大統領の就任演説

夜中にテレビを観ていたら朝青龍は相変わらず勝ち続けている。
うーん 負けないなあ。

テレビをそのままにしていたらオバマ大統領の就任式が始まった。
たくさん人が集まっていたけど着込んでいる人が多くてすごく寒そう。

招待されて集まっている人の中にはアメリカという国だしサプライズはあるものの、超お金持ちもたくさんいてプール付きの豪邸に住んでいてバカンスは外国や自分の別荘で過ごす人も多いんだろうな、などと妄想しているうちにオバマ大統領の就任演説が始まった。

アメリカは移民の国で何かというとアメリカの民主主義が素晴らしいとかアメリカが正義みたいに誇張して聞こえてくるのには少し抵抗を感じるし、じゃあアメリカ大陸に元からいた先住民を駆逐したのは正義なの?悪ではないの?
などと疑問に思うけど、アメリカ合衆国の歴史では初の黒人系の大統領だし頑張ってほしいと思った。

Yes we can

ていつ言うかなと思ってずっとテレビ観ていたらたら遂に言わなかった。

残念!期待してたのに〜

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2008年7月28日 (月)

ROOKIES

たまにテレビドラマにハマって感動してしまう。

内容は漫画タッチ。
不良高校生たちの野球部が熱血先生のおかげで甲子園に行くという夢に目覚めるというシンプルな青春ドラマ。

自分が高校生の頃を思い出すと、まさにプロギタリストになるという夢を追って夢の中で生きていたような気がする。

なぜか絶対にプロのギタリストなると確信していたから気持ちが折れる事もなく夢を諦めるなんてありえなかった。

夢は、夢に向かっ生きていられる時が幸せであり
夢を達成した後が重要だったり大変だったり。

達成した後にその先の新たな夢があるかないか、その夢も最初の夢と同じかそれ以上に熱い強い気持ちがあるかないか。
ここらへんが重要になってくる。

自分の場合は19才でプロギタリストになってしまい最初の夢や目標は達成。
夢がかなってからは、安心してしまい再び熱い気持ちになるのには時間がかかった覚えがある。

ウサギと亀でいえばウサギだったわけで、亀に切り替えるのにしばらくの間ジタバタ。
ウサギは練習そっちのけでしばらく遊びほけていた。

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2007年11月 6日 (火)

自分の中で続いているオールウェイズ三丁目の夕日

もう五十年近く通っている銭湯がある。 武蔵野市八幡町にある岩風呂という銭湯。

昔、ここらへんには戦後まもなく建てられた応急の仮設都営住宅がたくさんあって、そこに住む人達はこの岩風呂に通っていた。 僕の住んでいた家は今の柳沢三丁目、東伏見の都営第二住宅。 近所には銭湯があり小学三年まで通っていた覚えがある。 行きつけの銭湯が休みだったりすると気分転換に少し離れた岩風呂へ行っていた。

今日はオフだったので岩風呂に行ってみた。 昔からずっと同じ内装と湯舟で今も変わらない姿を保っている。 風呂から上がり着替えていると脱衣所で銭湯の親父さんが声をかけてきた。

「最近の若者はマナー悪いねえ、飲んだ空き瓶おいたまま帰って行くからねえ」 「八十過ぎてもお迎えが来なくてさ、女房と相談して準備してたんだけどまだ死なないんだよ」。 

きっと、みんながまだ銭湯を続けてほしいという事ですよと言うと、「死ぬまでやるよ」という返事が帰って来た。 僕はその言葉を聞いて嬉しかった。 親父さんから癌を患い先は長くないと聞いているからだ。

                                           

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2007年11月 5日 (月)

ビデオに録画しといた「オールウェイズ三丁目の夕日」を見た

すでに見た人が懐かしいと言っていたがそのとおりだった。

ある日、洗濯機がテレビが冷蔵庫が掃除機が扇風機が。 その度に家族中で目を輝かせて大喜びしていた。 きわめつけは小学三年生の時に家風呂ができた時。 僕ら家族は風呂のない木造平屋の都営住宅に住んでいた。 さっそく両隣の家の子供が入りに来たりした。 思い出してみれば夕方過ぎた時間帯からは今より暗かったし星もよく見えていた。 

行きつけの駄菓子屋に上がり込んでクレージーキャッツのスーダラ節を歌ったり、テレビのない頃は力動山や月光仮面を見に隣の家に上がり込んだり、近くの広場で街頭テレビを見たり。
原っぱで遊び大きな土管の上で遊び、夜になると恐い父親が帰って来る日々だった。 ちょうど自分の幼少から小学校三年くらいまでの記憶どオーバーラップして懐かしかった。

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