スポーツ

2014年2月25日 (火)

うーむ、森元首相が真央ちゃんになんたらかんたらかいな

団塊の世代の方には申し訳ないのですが、特にあの世代の方にはアスリートに対してだけではなく様々なアーティスト、つまり表現者に対して上から目線だったり多少なりとも敬う気持ちに欠陥のある挨拶は立派にできてもやっぱり失礼な人が多いいのです。

そしてまだまだ気づいていないことに現代の競争社会において、これは人にもよりますが、勝ち抜いたという勘違いの誇り高き精神やそこからくる勘違いの上から目線の優しさ、そして男尊女卑の感性もまだまだ持ち合わせていたりします。

見える目を持ってして人様を見ていて実は何も見えていない見ていないとでも言いましょうか。

見えるのはしいて有名というレッテルやブランドと言われて貼られた文字や勝ち抜いたとされる名前の人を信じているか頼りにして見ているだけなのです。

今、全国の30代前後の若者と接触したり演奏だけでなく会話もしたりしていると素敵な感性の人間がたくさん出てきていると感じます。

僕の世代を含め団塊の世代はあと10年20年もすればかなり減るはずです。

ネット界でグローバル的にも霊的にもそろそろいろいろ気づいている感性のよい若い連中は全国区でつながって一つの新しいパワーになれば今まで不可能だった事も可能になるような気がしています。

そのために自分にできる事は、ただただ演奏を続けるのもありますが、それだけではなく鋭い感性とともに進化し始めている若い連中に希望や自信や勇気のエネルギー、優しい気持ち厳しさ誰もが持っているバカさ加減などを送り続けることでもあると思っています。

などと夜中に絵を描かなくなりギターを弾くのを自制しつつも、ついつい気持ちだけはハイになってGO〜ON!

| | コメント (0)

2014年2月24日 (月)

ただやるだけ!とにかくやるだけ!

僕らマイナーなミュージシャンにはメダルも勲章も無縁だし関係ない。

しかしライブを中心に音楽人生を続けるのはある意味でアスリートと同じだと思う。

長い年月で備わったというかつちかったライブ体質やライブ気質があり演奏が始まるとすぐに集中し一気に夢中になる。
そして最近の体質としてはお客さんがいるいないに関係なく夢中になり楽しくやれるようになっている。

オリンピックではよく自己ベストという言葉を耳にするが演奏でも毎回クリエイティブな感覚に陥って既に持っているアイディアを表現して当たりだったり新しいアイディアが閃いて炸裂した時は喜びがあり少なくとも自分の中ではその時の自己ベストと言えるかもしれない。

自分の美学や強い思い込みやこだわりもあるなかで納得する演奏ができた時はフィギュアスケートの真央ちゃんほどではないにしろ感きわまって涙がこぼれる時もあるし自分だけの満足感にひたることもある。

フィギュアスケートの真央ちゃんはとっても幸せな人だと思う。

日本の多くの国民は彼女の姿に対して心から寄り添って見守りました。
感動した人もたくさんいました。
その感覚はまるで自分の愛する娘をおろおろ心配しながら暖かく見守るみたいな感じだからたくさんの人に愛されて見守られてこれほど幸せな人はいないわけです。

しかし僕らは誰も見ていなくても少ないお客さんしかいない環境でも認められようと認められなくとも感動してくれる人がいようといなくとも関係なくとにかく夢中になってやっている。

とにかく演奏する。
ただただ演奏する。

何故と聞かれたら!

演奏するのが好きだから!

表現衝動があるから!

ギターを弾くことが好きだから!

それが幸せだから!

まず自分はこう答えると思う。

多くの人に聴いてもらいたいとか感動を与えたいとか言う人もいるかもしれないが、それは自分にとって演奏する最初の理由としては当てはまらない。

まずはやりたいからやる!
気持ちいいからやる!
嬉しいからやる!
好きだからやる!

原因などというものはたぐっていけばシンプルなはずだ!

演奏して自己ベストを感じたり自分を誉めることがあるとしたらそんな時は目には見えない心のメダルを自分で自分にかけるか尊敬する相手や共演した素晴らしい相手にかけるのです。

真央ちゃんは一番素敵な目に見えない心のメダルを自分でかけましたね!

よかったと思います!

このメダルは優劣のない、そんな次元とは違う素敵なメダルです。

| | コメント (0)

2008年6月 3日 (火)

元日本サッカー協会会長 長沼健さん死去

中学時代はサッカー部だった。
中学の三年間はサッカーに夢中でブラジル人のように上手くなりたいと思い毎日ボールと戯れていた。
一瞬だったけれど、大きくなったら日本リーグでプレイする選手になりたいとゆう夢を抱いていた。

ある日、サッカー部の練習に長沼さんが岡野コーチと共にみえられた。
その頃はまだ日本でプロサッカーができるとは思いもしない時代。
サッカー界の中心的存在だった長沼さんが来るなんて信じられなかった。僕らは夢のような時間に目を輝かせていた。

そんな時代に長沼さんたちは将来を見据えて日本のサッカーレベルを底辺から向上させようと頼まれれば至る所に出向いて一生懸命普及活動していたんだと思う。

その時に少しの時間だったけれど基礎的な事を教わった覚えがある。

これはメキシコオリンピックで日本のサッカーチームが銅メダルを獲得した頃の懐かしくも貴重な思い出である。

長沼さんに心からご冥福を祈ります。

| | コメント (0)

2006年7月10日 (月)

ジダン退場!

サッカーはやる側も見ている側も普段考えられないくらい熱くなることがあり、何かのはずみてキレてしまうことのあるスポーツだと思う。

自分は昔サッカー部だったこともあり、ジダンの退場は辛い光景だったけれど、ありうることだとも思う。 手強いチームにはいつも以上に体をはったプレーをしないと勝てない。 体をはる時はより格闘技に近くなり反則すれすれというよりは反則と言っていいくらいの行為である。 肘撃ち、膝蹴り、頭突きなど動きの中で審判の目をだましたり見ていない所で有効活用していると言っていい。

あのジーコでさえ審判の判定を不服としてボールに唾を吐いて退場になったことがある。

ジダンのまさかの退場の時思い出したのがジーコの退場だった。

みんなから尊敬され慕われている温厚なプレイヤーでさえ、その人自身の人格に何が起きるかわからない。 それがサッカーの持つ怖さ異常性でもあると思う。

サッカーの試合を見ていると、普段の人柄は別として、いつも真面目な人のたった一度の暴言、セクハラなど、ヒンシュクをかってしまうことのある人間の有様が凝縮されているようにも感じる。

                                             

| | コメント (0) | トラックバック (0)