シミアート
フローム中野。
日本人は平和という名のもとにあらたに教育されあらたに操作された国民でしょ。
国民的規模で思考や自己判断力を麻痺させられていたり国民の矛先をそらすための格好の題材が芸能界と芸能界の音楽やスポーツかもしれない。
都合のいい時にキリスト教や自由といううたい文句を掲げて胸を張るアメリカ。
極東の日本という場所を
地球の上から見たときに見えてくることがある。
この国を手なずけておけば、そのためにはほどよく飴を与え続け、国民を芸能界に夢中にさせスポーツに夢中にさせて時には武士道なんかも日本人の誇りや美談として称えといて少しいい気分にさせといて、そのかわり余計なことを考えたり言わせないようにしているのです。
戦後の友達いいなり作戦はいまだに成功!
そんな気がしてきました。
だって
なんでオリンピックで日本の柔道が競技種目として長年どーんと居座っているわけ?
韓国のテコンドーも。
これってどこそこの国から与えられた飴じゃないかな?
だから僕たちの基地をずっとこの地域に確保させてね!みたいなことにつながっていないかな?
ホットでレッスンを終えて帰る途中、池袋駅で山手線から西武池袋線に乗り替えるのに山手線の改札にさしかかった。
ふと前にシューミーとそのお弟子さんが話しながら歩いている姿が目に飛び込んできた。
スルスルと近寄ってコンニチワ!
うわ−っ!という声があがって偶然バッタリ遭遇に三人で大喜び。
こーゆうのって宝くじに当たるくらいピンポイントなんですよね。
ほんの数秒間でもタイミングがづれていたらこんなことは起きないし。
だから嬉しいもんです。
偶然なんだけど
意味があるのかな?
必然かな?
見えない力によって引き合わされたのかな?
なんて楽しい空想もしてしまいます。
僕にはこんなことがよくあります。
去年からサックスの高橋トモキさんに誘われて高校生にジャズクリニックという企画に参加している。
ギターを弾く高校生といっても参加者はほとんど初心者。
初々しい彼らのなかにあるのはだいたいがJポップのヒット曲や好きなバンドのカバーをやりたいというイメージだったり。
おおよそジャズのイメージやアドリブをしたいという強い衝動はないと感じる。
だからたった数回のレクチャーでジャズの何を感じてもらえばいいのか?という点では逆になかなか手強い。
高校生という年頃は一番多感な時期ながら幼児期から幼少期にかけて多くの子供たちに備わっていた勝手気ままな心や柔軟な想像力や発想力、遊び心、自由な感性が世の中の常識、理性、教育、受験勉強などによっていつのまにかかなり削がれている気がしてならない。
このいつのまにか奥にしまい込んでいたり隅に追いやってしまっている感性や感覚に新たに刺激を与えられたらと思う。
自由に生きるとは、与えられたレールや情報に乗っかっているだけではその中で自由だと勘違いしたり何が自由だか気づかないまま生きているような気もする。
例えば僕らの目や耳にするものとして圧倒的に量の多い情報はテレビを中心とした芸能界の情報だったり。
学校生活の間にこの手の情報の共有が何年も続き物心もつかないうちに受験人間にされて知らず知らずのうちに一人一人の感性や思考形態がかなり均一化していたり蝕まれていっていると思う。
もうそろそろ教育のありかたが変わったほうがいいのでは?と思いたくなることがよくある。
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