十条いいねえ
ジャズを最初に聴いた頃はサックスは誰を聴いてもけたたましくて叫んでいるようで区別もあまりつきませんでした。
ジャズギタリストもみな同じように聴こえたりチックコリアのピアノでさえ難しくて頭でっかちに感じて頭痛がしました。
それが少しづつ成長していくうちに長い年月がたつとかなり馴染んでいて把握できています。
最近は難しいと感じた現代音楽の音や和音もかなり馴染んできました。
頭でっかちに感じたり数学的に感じたり不快に感じた和音でさえじっくり長い年月をかけて付き合っていけば耳もゆっくり受け入れながら理解するようになり把握力が増しています。
それらの音は自分の中に自然と流れだし鳴り響くようにもなります。
ただし、とにかく好きであることが重要だと思います。
だからまだまだ進化成長は可能だと考えます。
年を取ると頭、心、体、が硬化していくのを自分だけではなく周りを見ていても感じます。
体はケアしてあげないと自然に硬化し長年の歪みやダメージも蓄積して劣化していきます。
頭は記憶力が鈍ったり反応も遅れだします。
これは運動神経の分野。
思考スピードも鈍くなります。
心も硬化していけば柔軟性がなくなりある時期に築いた思考パターンで固まってしまいます。
こうして心も硬化していけば対応力に欠けてしまいます。
なるべく硬化しないで生きていたいものです。
この先の話しは奥が深いのです。
腱鞘炎の時は家でギターをできるだけ弾かないという我慢の日々でした。
今年になって腱鞘炎のしんどさもおさまってきて少しづつ弾けるようになりました。
でも続けて30分以上弾き続けると腕も疲れがちなのでだましだましの日々。
そんな中で手応えはあるのです。
一時は腕の痛みや劣化ばかりが気になって、さすがにもう肉体的には先に進めないと感じていましたが、最近はまだいけそうな感覚があります。
ギターを弾きながら修整ポイントに気がついたり力の抜き方に気づいたり。
粘って食らいついていれば何かあります。
昔やっていた単純な練習でも元に戻す(復活)という意味で効果があります。
指を指盤上で滑らせて移動する感触でさえ以前と比べて成長進化を感じます。
そこにケースバイケースで呼吸感もリンクして感じたり発見できると、やはり以前とは違った喜びや気持ちよさがあり、まだいけるという手応えがあります。
タルレガを初めて弾いたのは高校3年。
その時より六十歳過ぎてからのほうが肉体的にははるかに難しく感じる。
左手は悲鳴をあげ真面目に弾きすぎたら腕が壊れるのではないかという思いがよぎる。
だから何かまだ吸収するものがあると思いながらゆっくり弾いている。
いつも言うことだが、けっして上手く弾けるわけではなく目を通してポロンポロンと弾いては立ち止まりいろいろ考えたりしながら弾いているのだ。
亡くなったギターの高柳さん、伊勢さん、岡村誠史君などを思い起こすと、ライフワークとしてソロでの表現が重要なポジションを占めていたと思います。
そこは自分だけの独壇場の世界であり自分だけの聖域であり自分だけの大切な誰にも侵されることのない世界。
自分一人のソロをやっているからこそ逆に他人と演奏した時のありがたさも痛感するわけだが、この独壇場という一人だけの世界に味をしめまだまだやれると感じた時に、もう誰ともやらなくてもいいような気がしてくることもあります。
神戸で歌手の酒井俊さんと松尾俊二さんというニューヨークそしてシンガポールで活躍しているヘアスタイリストの企画したイベントに参加した。
シンガポールから松尾俊二さんのお弟子さんが三人と他にも多くのヘアスタイリストやメイクアップアーティストなどが集まっていて中にはオカマさんやニューハーフの人もいました。
知らなかった繊細さとストイックな美意識を持つ微妙な感性にふれた気がしました。
ミュージシャンと同じで自己表現し創造する仕事とはいえ近いようでいて違う感性と切れ味。
なかなか奥が深そうです。
イベントは松尾さんのライフワークでメイクオーバーマジックというタイトル。
イベントのメインで20人の60才以上の女性がばっちしメイクしてド派手な洋装でキャットウォークをする場面は圧巻でした。
お年をめした方が再び元気になってほしいという
主旨のようです。
そんな松尾さんの言う感謝という言葉にはピュアで納得するものがありました。
最近のコメント