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2011年9月

2011年9月30日 (金)

是安のこと(9)

初めて是安と演奏したのは26才の時だった。

育ちも人間性も違うけど
自分は19才でいきなりジョージ大塚さんのグループに参加したりプーさん(菊地雅章)の洗礼を受けたり、その後は鈴木勲さんのグループに参加したり。
デビューして数年間は厳しいイビリやシゴキに耐え続けているうちに日々のストレスやプレッシャーで心や身体は壊れかけていた。

いつのまにか以前の無邪気な自分は激減していて時には心を閉ざして自分を守ったり、人と打ち解けるのがしんどくてあまり一緒にすごさないようにもなっていた。

一方是安はというと私より少し遅くデビューして大学時代の先輩たちとそのままのテンションで活動していたみたいだった。
是安との初顔合わせの時ドラムの亀山賢一さんがリーダーだった。
亀山さんは優しくて温厚。
自分が閉ざしてこれ以上傷つかないように守っていた心を開くきっかけになった人だった。

自分も亀山さんとは親しくなっていたけれど、是安は亀山さんと家族じゃないかと思うくらい無邪気にすごしている。
こいつ軽い〜と思わせるくらい楽しそうに喋っていてのびのびして見えて突っ張った感じがまるでない。
まず驚いた。
みな人生は違うけど、へーそうなんだ。
見ていてなんか楽しそうだった。
私は是安を見ていて羨ましくもなり自分も数年前は今より無邪気だったなあと思ったのを覚えている。
仲良くなると無防備で人の心の中に突進してくる是安。

それまで身を削り孤軍奮闘していた自分とは明らかに違う数年間をすごしていたようだった。
この頃から少しづつ自分を取り戻していったけど
、是安は自分にとって自分らしさのお手本だった気がする。
是安にはそんな意味でも心からありがとうだ!

いろんな環境いろんな人生いろんな育ちかたいろんな性格。
面白い。


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是安のこと(8)

5年前くらいから是安とやっていた自分のトリオは中断していた。
50才を過ぎてから、生き急ぐのはやめようと思ったしそれまでの流れにしがみついているのもやめようと思った。
ここらで自然な流れに身を任せてみたくなったから。

でも是安とはいろんなシチュエーションでたまにやっていた。
やる度に以前より通じ合う感覚があったし共鳴していた。
いろんな人にベースは誰がいい?と聞かれれば是安がいいと言い、参加したグループのレパートリーや音楽性によっては是安をイチ押しで推薦していた。
若いミュージシャンやまだ是安を知らないミュージシャンには是安体験をしてほしかった。
きっといい結果がでるはずだから。

自分はまたやりたいスタンダードがたまったら、ジャズスタンスのフリーやオリジナルがたまったら、まあ還暦にでもなったらまた是安にお願いしてトリオなどをやってもらいたいなと思っていた。
是安からは「俺、いつ死んでもおかしくないから、加藤またやればいいのに、あと何年もつかわからないよ。知らないよ」などと言われていた。

最近自分の知ってる範囲では是安がピアニストの藤井郷子さんや栗田妙子さん、そしてサックスのミドリトモヒデ君やかみむら泰一君らとやっているのが嬉しかった。
彼らにとって絶対いい!
人によっては今の音楽性にバッチシだと確信していた。


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2011年9月29日 (木)

是安のこと(7)

是安と林栄一さんの関係も美しく素敵だった!

林さんと会うといつも是安の話しになった。
いかに林さんが是安を愛していて思いやっていたかが伝わってきた。
林さんもさることながら林さんにそこまで思わせる是安もさすがだ。

かなわない。
すぐ親身になる是安。
まったくオマエはたいしたもんだぜ!
自分のこと最低人なんて言いやがってまったくう。
最高人の照れ隠しだわな。
まいるぜ!

もう責任感なんかなくていいから安心して開放されて古澤さんやバタ(川端)さん、そして金井さんと見えないとこで遊びこけてくれ〜

オマエの事を恨んでるやつなんていないから。

みんなオマエには感謝するしかないんだから。


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是安のこと(6)

おまえ最高だったよ!

是安はいろんなミュージシャンと素敵な演奏をしていた。
仲がいいと乱暴な口もきくけど誠実だった。
ホントは見習わなきゃだ。

ピアニストのくるみさんや私と同じギタリストの津村とのコンビも微笑ましかったし、ピアニストのヒミコさん(堀真知子)とのコンビも好きだった。

是安は一緒に演奏する相手をとにかく受け止める。
無邪気で裏がなく人なつっこいうえにいい奴だから人がすぐ心を許すのだ。
僕にはとても真似できない。
なんと素晴らしい奴と出会って一緒にやっていたんだろう。
あらためてそう思う。

今夜も明け方まで是安のことを思いふけってしまう。
じわじわくる。

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是安のこと(5)

夜中になると是安のことを考えたり思い出そうとしていたり。

30才を過ぎた頃
自分の中ではもうアメリカのジャズもアメリカのジャズギタリストもどうでもよかった。

自分は日本に住み呼吸をし飯を食い西荻窪のアケタの店で好きなミュージシャンと一緒にやっている。

それが自分の今という真実であり現実だから、そこで刺激しあったり影響受けたりしながら生まれるジャズが自分のリアルな世界。
そこで自分が形成されていく。
それで充分だった。

アメリカのジャズにばかり目が向いた憧れジャズの演奏はもういい!
これはその当時の自分の心境だ。

是安はいろんなドラマーと名コンビだった。

藤井信雄さん、小山彰太さん、楠本卓司さんなど。

30代半ばの頃から楠本さんと是安とのコンビは二人にしか生み出せない濃密なやり取りとグルーブなどいろんな面で光り輝いていた。

二人とやる時は油断していると弾き飛ばされるから集中は半端じゃなかった。

この二人がいればそれだけでよいグループになってしまう。
二人のコンビはもう向かうとこ敵なしだと感じるくらい素敵だった。

アメリカのジャズがどんなに素晴らしかろうと日本のジャズだって、いや中央線ジャズだって素晴らしいし凄いんだ!

文句あっか!だっ。

榎本のグループ以降このコンビはいろんなグループで見事な結果を残していった。

私は嬉しかったし誇らしかった。

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是安のこと(4)

是安のベースソロは長年一緒にやっていて今でも不思議だった。
どうしてあんなソロができるのだろう?

一緒にやり始めた最初の頃は是安のベースソロになるとバッキングができなかったしバッキングをするのも恐かった。
わかっていてもそこまで深いポイントには行けなかった。
音符の位置が尋常ではなく表向きのわかりやすいメトロノームの点ではなかった。
一小節の中を隅から隅までふんだんに使いぎりぎりの表現をしていた。
時には小節をまたいで彼にしかできない歌を弾いていた。
普通は今の八分音符だな、とかわかりやすいのだけど是安のソロは凄まじかった。

自分が是安のソロを隅々まで理解してバッキングできると感じ始めたのはここ数年のことである。
かえって無神経か無頓着にかかわった方が気楽にバッキンできたかもしれない。
少しディレイでもかけてフワッとかかわれば楽だったと思う。
でも自分も小節の中のメトロノームでは割り切れないきわどいポイントにやり甲斐を感じていたのでお互いのタイム感や呼吸には過敏だった。

あれほど小節の隅々までをふんだんに使ってギリギリのところで歌えたベーシストは世界は広しと言えども他にはいないと思う。

最近になり少しわかった事があった。
是安は高校時代にバスケットでインターハイに出たほどの名選手だった。
昔一度だけバトミントンを一緒にやったら膝がやわらかくてフットワークが抜群。
足腰がとても軽快だったので驚いた事がある。
砂浜で是安をつかまえようとしたらやはり軽快なフットワークで見事に逃げられた。
この時もその見事さに舌をまいた。
バスケットの時には前かがみになってドリブルをする時の右手とベースを弾く右手は是安の場合は関連性があるような気がした。
右手の動きでは弦を弾いた時はボールを下に押した時で次に弦を弾く直前ははね返ってくるボールを受ける感覚に近い感触で音空間をとらえていたのではないかなと、是安の右手の動きにはバスケットのドリブルと少しだけ共通点があるような感じがしていた。
あの独特の弾力性のあるビート感はバスケットのドリブルをイチニイサンシイとやっている時に右手で感じているフィーリングと絶対関係がありそうだ。
ドリブルの時にボールを押し出しては返って来るボールのエネルギーを腕と手で吸収してまた押し出す。
是安の出す音やビートの極意にはそんな感覚もあったかも知れない。

最近は一緒にやる時に以前よりギターで空間を埋めないようにしたり曲によっては途中までギターを弾かないで是安を味わったり楽しんでいた。

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2011年9月28日 (水)

是安のこと(3)

二年ほど前、20年ぶりにシューミーとの夢デュオのCDを作る気になった。

やっと自分の重い腰が上がり去年やっと実現した。
夢デュオ20年の歩みを一つの作品に結集したかったのだ。

自分にとっては特別の作品だからゲストを入れたかった。

それはなんの迷いもなく是安だった。

是安しかいなかった。

そして何年も前から是安と彼の育った釧路で一度演奏をしたいという夢があった。

シューミーも一度でいいから北海道に連れて行きたかった。

重い腰は再び上がった。

そして今年の夏は北海道で夢デュオのCD発売記念ツアー。(夢Duo+1 ゆっくり夢見)

やっと実現した!
私は感無量だった。

北海道で三人で演奏すると毎回ジーンときて涙が出かかった。
札幌のライブハウス『くう』では感窮まってメンバー紹介ができないくらい涙が溢れた。
久しぶりに是安ともくったくない話しがはずんだ。
いつになく素直な会話もできた。
とにかく夢がかなって嬉しかった。

9月18日は甲府の『桜座』で久しぶりのシューミーバンドだった。
ベーシストはもちろん是安。
バンドは好調だった。
久しぶりに是安と音が出せたしシューミーは素晴らしいし樋口さんもさすがだった。
私は旅続きで疲弊していたのにふっ切れていて閃きまくっていた。
是安は相変わらず誰も真似できないくらいゆったりと沈んだディープなベースを弾いていた。
そして音は優しかった。

9月19日(月)は『なってるハウス』でこれまたシューミーバンド。
珍しいことにシューミーバンドの2DAYSだった。
是安は相変わらず誠実に優しい音を出し続けていた。
それもいっさい気を抜くことなく!
この日も是安は僕らを見守っていた。

そしてこれが是安の最後の演奏だった。


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是安のこと(2)

相変わらず是安の酒の量はゆっくりと増え続けていた。
自分のトリオは方向性が見えないまま演奏にはムラがあり時に乱暴でちぐはぐな演奏が続いていた。
しかも自分の中では音楽的方向がフリージャズというよりフリーインプロビゼーションへと強く向かっていた。

でも好きな是安とはやり続けていた。

是安は相変わらず本気で手抜きはいっさいなし。
死闘しているかの如くベースを鳴らしていた。

この頃になると是安は歌手のシューミーにとってもすでに最も信頼するベーシストで大切な相棒にもなっている。

是安をこよなく愛する林栄一(サックス)さんのスタンダードという作品のレコ発ツアーで名古屋に行く頃には是安の言動や演奏があきらかに変だという事にみんな気づきだしていた。
名古屋では是安から「僕を助けてくれ」と涙ながらのSOSを告白された事がある。
仲のよいミュージシャンは私を含めてみんなして是安に酒を止めるよう言うようになっていった。

しかし事件は起きた。
肝臓で倒れそして病院でのアルコール依存症という宣告。
その直後から是安は復活をかけて二度と酒を飲まないよう強い意思で戦っていたと思う。
その苦悩と苦労はアルコール依存症になった者でないかぎりは想像つかないだろうしはかり知れないと思う。

しかしまたしても身体に災難が起きる。
酒を断ったかわりにタバコが増えての心筋梗塞。
是安は自身に襲いかかった二度の大病に強い意思で立ち向かった。
そして打ち勝った!打ち勝った!。
見事に克服し続けていた!
普通の人間にこれほどの強い気持ちと意思があるとは考えられない。

復活した是安はゆっくりと無理をせず用心深そうに、しかも以前にも増して誠実にベースを弾いていた。
一年二年とたつうちに徐々に音の中に豊かさと優しさが溢れてきていた。
第二の素晴らしい是安がゆっくりと始まりだしたのだ。
酒を飲まなくても楽しそうに話しだしたり。
私はそれが心から嬉しかった。
いつしか豊かで優しい是安の音に触れることが以前にも増して最高の喜びになっていた。
演奏におけるタイムや音の位置、そんなやり取りの共感と喜びは以前より明らかに理解と親密さを増していた。
きっと是安も同じだったと思う。

いつしか是安は再びみんなから必要とされ望まれる絶対的な存在のベーシストになっていった。
だから自ずとライブも演奏旅行も増えていった。
そんな是安を見ていて心から嬉しかった。


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2011年9月27日 (火)

是安のこと

20代後半の頃、そろそろ自分のやりたいフリーなアプローチを演奏中に少しずつ表現するようになっていた。

是安と一緒に演奏するとお互いに演奏中にフリーなアプローチへ移行する中でやたらとテレパシーを感じて通じ合うという感覚を味わっていた。

そこには今までにないワクワクした新鮮な喜びが起きていた。

「おまえもそう感じてるんだ、それを喜んでいるんだ、その世界が好きなんだ、そっちに行きたいんだ」。
口には出さないけどそんな事を感じて嬉しかった。

一緒に演奏すると嬉しい共感があるから、ライブの後に是安の家にも招かれて嬉しい時間を過ごした覚えがある。

自分がギタートリオを始めてしばらくすると僕がやっているライブハウスに是安が現れて「何故俺とやらないんだ?」と怒鳴り込まれてしまった。

是安の投げてきた直球には驚いたけど、もうわかっていたから嬉しかった。

そうして30代始め頃に是安とドラムの藤井信雄さんとのトリオが始まった。

是安の無邪気で人なつっこい性格が羨ましかった。
その頃自分はまだ一人で自分や他人とどこかしら闘っていたから「近寄りがたい」と言われたり「怖く見えて腫れ物にさわるようだ」と言われたり。

是安とやるようになって自分は徐々に本来の自分を取り戻していった。
少しずつ自分らしく無邪気になれた。

そうこうするうちにサックスの榎本のグループでやる事になると、そこには是安がいてドラムの楠本さんがいた。

この世界に入ってこんなに無邪気にのびのびと楽しく好きに自分らしくやれたバンドは自分には始めてだった。
このグループでの数年間はやればやるほどクリエイティブで通じ合い自由を満喫していた。
お互いの音楽的関係は密度を増していった。

今度はそこから楠本さんと是安とのギタートリオが生まれていた。

この頃になると自信もついてきて音楽的により前に進みたいという思いが強くなっていた。
自分へのこだわりもいっそう強くなっていくしよりフリーに移行していきたいという力みや生みの苦しみを背負いながら演奏していた。

今思えば先に進みたいという過剰な思いから演奏には辛い部分が生じてどこか無理が起きていた。

そうこうしているうちに是安の酒の量は以前より増えていった。

けれど是安はいつも一生懸命であり前向きで優しかった。
そしていつも手を抜かないで全力投球。

私の独りよがりで強い思い込みは時にトリオの演奏をちぐはぐにしていて私がどんな演奏をしても一生懸命誠実に答えようとしていた是安はこの頃になると自分の至らないせいではないかとやる度に神経を擦り減らして傷ついていたような気がする。

そして酒の量はますます増えていった。

思い出すと是安の優しい顔が浮かんで涙がでてくる。

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2011年9月25日 (日)

思考が止まった!思考が始まった!

今ミュージシャンの中で1番仲のよかった相棒が死んでしまった。

二度の大病をやってたからいつ死んでもおかしくはなかったけど突然死んだ。

同じ世代で仲よくなればなるほどべらんめいな口調で話す奴だったけど
とても優しくて思いやりのある奴だった。
実は責任感だってとてもあった。
親身になって心から友達の心配をするだけでなく身を削ってまで助けようともする奴だった。
純粋無垢で無邪気だけど恥ずかしがり屋だったし傷つきやすい奴だった。

でも人の心にすぐ入ってくる奴だった。
そんな奴だから先輩のミュージシャンもすぐ心を許してみんなして彼を愛して甘えていた。

真面目だしバカヤローなくらいいい奴だった。

俺に何があってもお前がどんな奴でも絶対いつまでも一緒にやる!
加藤とはずっとやり続けると言ってくれていた。

最近は何があっても太陽のように見守ってくれていた。
それはこの世で1番の愛情表現だった。

仲がいいから口は悪いけど思いとは正反対の事を言っては1番の愛情表現を返してくれていた。。

悲しいけど
ありがとう!
残念だけど
ありがとう!
見えないけど
ありがとう!

これからもやる時は呼ぶから!

これからもバカヤローって言うから!

俺の中ではこれからも一緒にやるから!

釧路に行く時は一緒だから!

気持ちはつきないけど

しゃーない!
グッバイだっ!

ホントはグッバイじゃないけどさ。

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2011年9月22日 (木)

台風が通り過ぎてコオロギが鳴いていた。

まだ暗い明け方
コオロギが力強く鳴いていた。

さっきまで雨や風が大騒ぎした後だというのに生命力を感じる秋の声。

虫になってみたい。

自分が鳥だったら。

植物だったら。

彼らは地球とどんな付き合い方してるんだろうか?
宇宙とどんな感覚でつながっているんだろうか?

自然界の出来事をどう受け入れているんだろうか?

ただ与えられた命を各々が組み込まれた本能に従って生きているだけなんだろうか?

コオロギの鳴く声を聴いて安心した。

これは地球上に命を授かった生き物たちの営みの声だ。

彼らは台風が来ようともきっとめげたりしていないはずだ。

彼らの感覚が知りたい。

さあ寝るかいな。

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ライブのお知らせ!

9月22日木曜日

新宿ピットイン
0333542024

開演
午後8時〜

渦ヒストリー

メンバー
加藤崇之(ギター)
馬場高望(ドラム)
宅シューミー朱美(ピアノその他)
山崎比呂志(ドラム)
井野信義(ベース)

渦ヒストリーと題して今年の春に亡くなられた大ベテランベース奏者の金井英人さんを偲ぶとともに、ささやかな追悼の意を込めて演奏したいと思います。

渦というのは自分がリーダーとして活動していたインプログループの名前です。
渦、ニュー渦、エレクトリック渦というグループ名で5年前まで約15年間活動していました。

金井さんには渦の時代とニュー渦の時代にお世話になりました。

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2011年9月21日 (水)

夢デュオツアー

今年の目標は夢デュオのツアーを決行する事だった。

春の九州ツアーに始まって夏の北海道ツアーと今回のツアー。

いろいろまわって感じるのは、これからの若い世代の中にいい感性や感覚を持った人材がいるということ。

いろんな地方にいる彼等がつながってネットワークができ大きな力になっていけば日本もより豊かになるだろうし面白くなると思う。
日本が変わるチャンスとよきエネルギーは彼等の中にあると感じるのだ。

ツアーは微力ながらなんとか今年の目標を達成。

来年はエレキギターのソロで旅をしてみたい。

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2011年9月17日 (土)

まだ暑い日本だにょろ

豊橋といい岡崎といい

まだまだ湿気と暑さがニョロニョロ。

演奏で汗かき会話で汗かきニョロニョロニョロ。

若い連中にお世話になりっぱなしニョロニョロ。

まことにありがたき事ニョロニョロ。

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2011年9月15日 (木)

久しぶりに

言葉の汗をたくさんかいた。

生きてるから言葉の汗もかきあえる。

汗は涙か心のシズク。

人間ならたまには汗かかなきゃだ。

たまには心のオシッコ漏らさないとね。

魂の浄化。

縁がもたらす汗。

ありがたい事です。

いざっ、まだ寝てないけど今日は豊橋にGO〜

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2011年9月11日 (日)

衝動に任せてたら

春の震災以降
止めることのできない衝動に任せて絵を描き続けている。

気づくと絵はいつのまにか二百枚以上になっていた。

衝動とは不思議なものだ。

衝動は人によって違うから面白い。

自分にある衝動が他の人にはまるでなかったり。

演奏も同じで
自分は弦を擦ったりギターを叩きたくもなる。

そんな衝動はまるでない人もいる。

ギターはギターであってギターではない。

ギターはいろんな音の出る一つの物体だとも言える。

インプロも衝動があるからやり続ける。

ジャズもボサノバもロックも同じ。

衝動があるからやる。

衝動があるから下手くそでもやる。
出来なくてもやる。

衝動があるから気づくとやっている。

理屈じゃない!

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ツアーのお知らせ

9月15日(木)
豊橋
イタリア食堂ノスタルジア

午後7時開場
午後7時半開演

電話0532395700

宅シューミー朱美(VO)
加藤崇之(G)

9月16日(金)
岡崎
栄離宮

午後7時半開場
午後8時開演

宅シューミー朱美(VO)
加藤崇之(G)

9月17日(土)
土岐
SABBAT SABBAT

午後7時半開場
午後8時開演

電話0572533368

宅シューミー朱美(VO)
加藤崇之(G)

9月18日(日)
甲府
桜座

SHOOMYBAND

電話
0552332031

9月19日(月)
入谷
ナッテルハウス

午後7時半開場
午後8時開演

電話
0338472113

SHOOMYBAND

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2011年9月10日 (土)

久しぶりにギターを弾く指が笑った

ナッテルにて厳格三重奏だった。

ベースは不破、ドラムは大沼。

このトリオ
20年前から一年か二年に一度か二度くらいしかやらないのだ。

三人はそれなりに近いところにいながら違う活動をしている。
いろんなセットで時には一緒もあるけど、こうして久しぶりに三人で一緒にやればクッタクなく心置きなくだ。

久しぶりにギターを弾く指が全開して笑っていた。

ありがたい時間だった。

また来年か再来年かな?

ウヒヤハ!

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2011年9月 9日 (金)

晴天の秋の日差し

鮮やかな日の光に全てが輝いている。

またあの時の不思議な感覚がよみがえる。

最初にその感覚を味わったのはベースの金井さんとペルーに行った時だった。
私がペルーのリマに滞在していたのは日本大使館をゲリラグループが占拠していたまさにその時だった。

リマで滞在した家は、なんと大使館まで歩いて数分のところだった。

その日は晴天で日の光がまばゆいくらい美しかった。
市街はキラキラしていた。
大使館まで歩いて行く途中、木々は輝き花は美しく鳥はさえずっていた。

アイスクリームを売り歩く可愛い少女。

深刻な現実のまわりでは太陽が愛おしい光を全てに対して惜しみなく照り付けていた。

ふと、リアリティーとはなんぞや?
考えた。

テレビの報道は大使館に集中していてそこだけを写し悲惨な現実を世界に放映していた。

そこだけがデフォルメされ信じがたい現実として目に写っていた。

しかし
まわりにはいつもと変わらない日常があり何事もないかのような現実があった。

それは今まで知らなかった不思議な感覚だった。

二度目は渋さのヨーロッパツアーの時。

バスや電車で旧ハンガリーのあたりを走っていた。
この日も快晴でなだらかな山あいと日の光を浴びた広大な景色は美しくて平和そのものに見えた。

花が咲き教会が見える。

それはどこか長野県の美しい風景と似通っていた。
その時のことだった。

ある人が
「あの山の向こうではつい数年前に戦争があり虐殺が繰り広げられていた」と言っていたのだ。

その話しを聞いてからはやはりペルーの時と同じ不思議な感覚になっていた。
この時もリアリティーについて考え込んでしまった。

平和に見えるすぐ隣の地域では悲惨な現実があったのだ。

相変わらず太陽の光は分け隔てなくおしみなく降り注いでいて全てを照らしていた。

戦争の悲惨さを記録したもの黒の写真や映像。

現実には全てがカラーで色があり、時には日の光の中で輝いている光景があり平和な空間もしっかり共存している。

自分が知った気になっていたリアリティーとは何かが全く違うと思った。

なんだかパラレルワールドを味わっているような不思議な感覚になっていた。

そして昨日。

晴天の秋の日差し。
切れ味が鋭い。

日本は春に東北大震災があり多くの人が多少なりとも放射能を心配する日々の現実。
紀伊半島は大雨による大打撃。

日の光を受けて木々はより美しく花は眩しく輝いていた。

空を見ると鮮やかな青に美しい雲。

晴天の秋の日差し
いつもの年とは異なる感覚で受け止めている自分がいた。

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2011年9月 2日 (金)

古澤さんのおかげ

最近、西荻窪のクラップクラップが面白い。

昔はファンクやブルースなどをやっている連中が演奏してたり飲みにきているという印象があり、あとはアケタの店に出演したミュージシャンの一部がアフターで飲んだり食ったりして過ごす以外はノンジャンルでインプロをやったりするフリーな若手ミュージシャンの出入りはほとんど無かった気がする。

なんだか最近は少し違ってきたような。

クラップには若い面白い感性の奴らが以前より集まりだしていて新しい感性とエネルギーが出会ったり交流し始めている気がする。

そしてそれを受け入れて面白がったり楽しんでいるマスターと店内の自由な空気感がいい。

思うに、亡くなられたドラムの古澤さんの功績が大きい気がする。

今のクラップには、長年にわたり古澤さんが面白いミュージシャンを連れてきては演奏していたり。
ジャズとかジャンルにこだわらないで自由な感性とエネルギーのある若手を誘っては演奏していた流れが大きいようだ。

これは古澤さんのおかげだと感じるのだ。

古澤さんの功績は大きいなあ。

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ギターの大島君との初デュオ

台風がきていてどうなるかと思ったけど、雨もそんなに降ってはいないし
思い切ってエフェクターを総動員して鳴り物もフル装備で決行。

そして最近はライブハウスで暇な時間に絵を描くのも楽しい。

ギターの大島君とのフリーインプロデュオはくったくなく取り組めて楽しい時間だった。

ここ数年よく思うのだ。

昔は自分のやりたい事をとことんできる相手やグループがほんとに少なかったけど最近は一緒にとことんできる相手が増えてありがたく感じるとともに、今は好きな答を持っている相手がたくさんいて一緒に演奏すると楽しい事が多い。

まったくありがたいことです。

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2011年9月 1日 (木)

久しぶりにいろんな人と再会

つい数日前の昼
吉祥寺でライブだった。

一緒だったベースの金沢英明は、はるか昔に親しくしていた仲間で25年かそれ以上ぶりの再会と共演。

金沢とは二十代の頃に一緒に演奏したり遊んだり、あげくのはてに草野球チームを作って野球やったり。

金沢の顔を見たらまたキャッチボールがしたくなった。

久しぶりの再会はお互いが今も演奏を続けているだけで嬉しく暖かい時間だった。

演奏後に吉祥寺の駅に向かって歩いていたらブラジル音楽で活躍中のギタリスト高田君に久しぶりにバッタリ。

お互いにしばらく立ち止まって話し込む。
高田君いい顔してた。

これまた嬉しい。

高田君と別れてから喉も渇いたしサムタイムでアイスコーヒーでも飲んで帰ろうと思った。

サムタイムに行くと昼に演奏していたミュージシャンがまだいた。

なんとベースの河上修さん。

これまた30年近く顔を合わせていなかった。

河上さんとは二十代の頃にピアノの益田幹大さんのレコーディングなどで一緒だった事がある。

久しぶりにお互い元気なことを確認して笑いあう。
なんだかここでも嬉しい気持ちに。

するとそこにドラムの久米が。

二十代の頃に特に親しくしていた仲間にとって久米のあだ名はガキオだ。

俺にとってのガキオは人なつっこくていい奴なのだ。
自分とは同期でやはり昔一緒に演奏したり遊んだり野球もやったり。

こんなに何人もの人との再会の日ってめったになくて面白い。

この日はドラムのセシルが突然亡くなったことを知ってショックを受けていた。

自分はまだ生かされているのだから今後も頑張らなくては、と思った。

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