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2008年5月22日 (木)

自分が満たされた時と自分の魂が満たされた時の違い

自分が演奏をして満たされた時と自分が演奏をして魂までもが満たされた時とでは微妙に違う感触がある。
それは演奏後にふと感じるのだ。

演奏が調子よくてお客もいて気分は盛り上がり嬉しい気持ちになっている。
その日は思い残す事のないくらい充実感があり達成感もあり幸せも感じている。多くの人とも楽しい会話をし嬉しい顔をたくさん見る。そして、その時はとても幸せな気分を味わう。
これはある意味で祭気分とも言える。

一人になって帰ると、祭の後ではないが寂しい気分が浮上してきたり人恋しい気分になっていたり孤独感が押し寄せてくる事もある。
この一人という時間は結構好きなのだけれど、自分ではとても嬉しく充実したと感じていようとも、こんな日は本当の奥の方にいる自分は必ずしも満たされてはいないと感じる事がある。

つまり魂の部分ではまだ満たされておらず飢え渇いていて愛を渇望しているかのようだ。

自分が大満足していたとしても、それは自分の中の静と動で言えば動の部分が満たされたのであって、もっと奥にいる自分の魂はなんでもわかっていて、ひたすら静なる世界での充実感や安心感を待ち望んでいるような気がする。

つまり、欲望の部分をどんなに満たしてもけっして心の飢えや渇きはおさまらない。心は常に不安が襲い脅迫観念にもとらわれ、逆にもっともっとと言わんばかりにますます渇望し続けてしまう気がする。

もっと奥にいる魂とも呼べる自分は静かで穏やかな水の中にいるかのような平和で幸せな感覚を求め感じていたいようだ。

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