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2007年9月23日 (日)

日本のブラジル音楽の世界について思った事、まだ狭い!

今日、ブラジル音楽を専門にやっているギタリストと話をした。 彼がいっしょにやったりする人の中には小野リサの事をケチョンケチョンに言う人がいるという。 何故?何故?

小野リサのことは彼女がデビューする以前から知っていた。僕が六本木のホットコロッケなどに出演している時に遊びに来ていて顔を合わせたり、テビュー直前のとあるレコーディングにも付き合ったことがある。彼女には昔ギターを習いたいと言われたことがあり、彼女のお父さんの店である四ツ谷サシペレレに出演した時に目の前で弾いてもらったことがある。その後レッスンは一度だけで教えるのを辞退したことがあった。

それは彼女のギターがあまりにもナチュラルで力みがなくボサノバを弾くには充分だと感じたからだ。これ以上彼女の歌う世界に付け足すようなギターのテクニックや知識は必要ないと思ったし逆に僕の方がナチュラルなリズム感を習いたいくらいだった。彼女は半分ブラジル人みたいなものだからリズム感も自然だし人間も歌もナチュラルだなと感心したくらいだ。
スタイルとしてはエッジのきいたサンバや伝統的なブラジル音楽というよりはサンバエッセンスもあるボサノバであり、それが彼女の個性だと思う。細い声で声量があるわけでもなく極端に歌が上手いわけでもないけれど、とにかくナチュラルで無理がないから出発点ですでに気持ちいい音楽になっている。

ショーロだって素晴らしいしジャズや新しい音楽が導入されて進化し続けているブラジル音楽だって素晴らしい。伝統的なスタイルが得意なミュージシャンだっているしジャズエッセンスを得意としているミュージシャンだっている。
声だっていろんな個性があっていいと思う。

ジャズも昔はかなりそうであったように日本の中で日本人によるブラジル音楽の妄想拡大による価値観みたいな意識が独り歩きをしてこれは認めるけどそうゆうのは認めないとか、ブラジル人だったら何やってもいいけれど、日本人はこと日本人同士の事になると、とかくこれをマスターしなければだめ、これこそホントである、とかショーロを知っていなければ認めないみたいな意識が生まれてしまう傾向があるような気がする。そんな事はあまりにも堅苦しいし狭くて淋しい気がする。

他の考え方や宗教は認めない間違っている、みたいな発想に近いと感じる。この排除形否定形傾向はデフォルメして行くと人間にこの傾向がある限り戦争がなくならないのでは? とまで思ってしまう。

                                    

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コメント

こだわりや思い込みは、みんなそれなりにあるからいいと思うんですけどね。人と人との間ではかみ合わなくて難しい事もありますね。違和感はわかります。世界中にそんな外国人があまりにも増えたら違和感も変わるでしょうね。ジャズがすでにそうだしね。

投稿: 加藤 | 2007年9月30日 (日) 11時00分

僕も昔、ショーロ命の、こだわり邦人に冷たくされました。お友達になりたかったのに。最近も、かたくなジャズマンとお別れの悲劇。
なんかもっと自由に音楽できたら楽しいのにって思います。
一方で、尺八を吹く米国人や、歌謡曲を歌う香港人に違和感を感じるのは何故でせう。

投稿: くま | 2007年9月27日 (木) 09時26分

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