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2006年4月

2006年4月28日 (金)

ふと思った事

ふと気がつけば今では日本にスウィンギン・ギターを弾くジャズギタリストがいないに等しい。

ベテランの方は亡くなられていくしジミー・レイニイやタル・ファーロウ、バーニー・ケッセルなどの影響を受けたスタイルのギタリストが活躍していないのはなんだか淋しい。 数えてみても数人であろうか?

私の言うスウィンギン・ギターとはウェス・モンゴメリーやケニー・バレル、ジム・ホール、ジョー・パスとは違う。 それ以前に一時代を築いていたギタリストたちのスタイルのことだ。歯切れのいい軽快な、しかも真似できそうもなさそうなオーソドックスなフレーズがポンポン飛び出すギタリストたちの事だ。

うーん、日本のジャズギター界はそれでは淋しい。 ならば俺が弾いてしまおうか? などと、ふとたわけたことを思ってしまった。

スウィング時代のギタースタイルは実は我ながら得意だと思っている。 単なる思い込みとも言えるが、高校時代聴きまくってプロになった時はそのスタイルをひっさげてデビューしたのではあるが、入ったグループが超モダンジャズを追求していたり新しい事をやろうとしていたため、まったく役に立たなかったのを思い出す。 もしスウィングジャズをやっているグループに入っていたら今とは違うギター人生を歩んでいたかもしれない。

                                                 

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2006年4月24日 (月)

愁という言葉を国語辞典で調べてみた

憂愁、愁傷、愁嘆、愁思、愁色、愁訴、愁眉、旅愁、郷愁、悲愁、哀愁などなど。

嬉しいことにさっそくコメントもありトラックバックも見させてもらいました。  なんとゆういろいろな愁のつく熟語があるのでしょう。 それぞれにニュアンスの違う悲しさ淋しさ、うれい、思い悩み、心の沈みなどを表している。

大好きな昔の洋画に「悲愁」というのがありましたが、こうなると一つの日本語として素晴らしい美学を感じます。 人の持つ繊細かつあいまいな情感の表現を、このようなたくさんの熟語を使う日本という国の持つ潜在的な豊かさにあらためて感心。 ハンバーガーとコーラとはひと味もふた味も違うなあ。

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2006年4月21日 (金)

ライブのお知らせ 4月23日(日)新宿ピットイン

四月二十三日(日)新宿ピットイン

PM7時開場 PM7時半開演。  TEL:03‐3354‐2024

グループ名はFIS

メンバー:加藤崇之(ギター) 宅 朱美(ピアノ、ボイス) 松本健一(サックス) 永塚博之(ベース) 山崎比呂志(ドラム)

FISとはフリーインプロビゼーションセッションという意味。 去年からたまに活動しています。 演奏は加藤的でキメごとを省いたやり方です。

                                                        

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2006年4月20日 (木)

ショック! カタツムリを踏んじゃった

今日はバイトだった。 納品も終わり事務所に帰る頃にはさっきまでの激しいスコールが嘘のようなくらい晴れていた。

事務所に着いて最後の積み降ろしをしようと車を降りると、一匹の可愛らしいカタツムリが目に止まった。 最近ではカタツムリに出くわすことなどはめったにないからこの珍事に嬉しくなって見とれていた。

荷物を運びながら往復するたびにカタツムリをチラッと見ていた。 予定の仕事を終えて油断したのかもしれない。 荷物の積み降ろしも終わり再び車に向かう途中で足下でグシャという感触。 アーッ、なんとしたことか、カタツムリを踏んでしまった!

その最後の瞬間だけカタツムリの事を忘れてしまっていたのだ。 アーッ、ショック! なんという事をしてしまったのだろう。 もう取り返しがつかない。 アーッ、カタツムリよゴメン、ゴメン。 心からゴメンネ。

小さい頃、たくさんの生き物を遊びで殺してた。 そのせいか今では害虫でさえ殺すのが申し訳なく、できるだけ殺さないようにして窓から逃がしているというのに。 ほんの一瞬のショックな出来ごとだった。

                                                     

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春愁という言葉

五木寛之の講演を聞いた生徒からのメールで春愁という言葉に出会った。

五木寛之の講演を一生懸命要約して伝えてくれたのだが、彼の話した春愁という言葉に感動した。

愁とは悲しいとか淋しいといった人の感性の繊細な表現と言える。

今の世の中はやもすると二者択一的であり、人の心の割り切れない繊細な部分を否定しがちである。 悲しい、落ち込む、ふさぎ込む、ネグラ、元気がない、などこれらの気分はまるでいけないかのような気にさせられる事がある。 でもこれは人間の持つあいまいかつ繊細で豊かな感情の表れでもあるわけで、横にどけていたりフタをしてしまったらかえって問題ありだと思う。 春愁の愁という言葉の持つ意味のしなやかさは文学的であり万葉時代の日本的な面があるという。

いつも明るく元気だという方が実は問題があるとも言える。 強く頑張ってい続けるコトに疑問を持つことがあっていいと思う。

自殺する人間も予想以上に多い現代。 人は時には自信をなくしてうなだれたり他人とも接しないで一人ふさぎ込んだり。 そうすることやそれを許す事でまた元気を取り戻したり。 このようなあり方こそ、人としての豊かさにも通じているし逆に強さにもつながっているのではないか。 また他人の辛さを哀れんだり自分の事のように心配する優しさにつながるとも思える。

これは生徒のメールでの五木寛之の講演の内容を混ぜながら、自分の気持ちも多少加えての話である。 生徒にはこうして教えられる事も多々あり感謝することがある。

春愁とは素敵な言葉だなあと思いました。

                                                    

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2006年4月17日 (月)

今日はコンガの今村さんのグループ、ピアノは寺下誠さんだった

コンガの今村さんは私にとっては文化勲章をお贈りしたいほど素晴らしい。 今村さんは私の中では国宝級であり世界に誇るアーティストだ。

今日は寺下誠さんというこれまた私の大好きなピアノ奏者が参加。 寺下さんとは毎年彼のライフワークである寺下合宿に講師として参加させてもらっている。

ジャズをこよなく愛しジャズにこだわりバッドドランカーとしても噂の絶えない人だ。 愛すべきジャズクレイジーなのだ。

寺下さんは私のすぐ横でほとんど初見で演奏していたが、素張らしかった。 音楽的スタンスの広さ、音符やニュアンス、リズムの幅、あらゆる面で納得がいくし唸るものがある。長年ひたすらジャズにこだわり、時代の流れとは関係なく生き続けている彼のようなミュージシャンは心から尊重したい。 現在売り出し中で客も入るピアニストなどとはある意味で大人と子供ほどの違いを感じる事がある。 やはりこだわりの年月とジャズ愛の違いかもしれない。

沈む音、揺れることのできるリズム、他たくさんの事、どんだけ音楽のあらゆる面を愛し大切にして生きて来たかが、一緒に演ると感じるしわかるのである。

自分は、日頃フリーインプロビゼーションなども含め自由に演っている人間ではあるし、表現している音楽は寺下さんとは異質のものであるけれど、彼のようなジャズ馬鹿ミュージシャンは大切な存在であり心から尊重しているのだ。 そしてこのようなジャズミュージシャンほど、すぐ面白いバンドを作って売り込んだりせず、ただひたすらジャズを思いジャズを演っているのである。

                                          

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2006年4月10日 (月)

牛の暴走!

地球はどこへ行く? 音楽の世界だけとって見ても、まるで牛の暴走に感じることが多いい。 何をあせっているのだろうか?

情報のスピード化。 壊滅しつつあるそれまでの価値感。

盲目で答えが見つかりにくく、迷走するかのごとく自由が蔓延し急速に増え続けるあらゆる表現。

我先にと先を争うかのごとく繰り広げらている表現者の世界。 昔と比べ自由にものおじせず表現する事もできるようになり、良い面もたくさんあるがポジィティブという名のもとに「牛の暴走」のごとく感じる事がある。

マスコミや様々なメディアを通じてすぐに作り上げられてしまうヒーローたちとそれに群がる人々。 まるでインスタント食品のようだ。

本物というレッテルがついたとしても底が浅く感じる事も多い。 本当はどこか自信がないのに胸をはり頑張ってしまっているかのごとく写る。 自信とはそうたやすくつくとは思えない。 いや、死ぬまで先をめざすなら、自信などというものはそのつど自分のモチベーションを無理やり上げているだけのことかもしれない。

これではみんなして暴走して崖底へ一直線。 牛の暴走か? 育つものも育たないような気がして来る。 発散しハジケル以前に、じっと我慢し耐え忍ぶ期間や時期も必要ではないのか? おどらされたりあおられたりしてすぐにハジケようとしたり発散しようとする表現者も多いと感じる今日この頃。 良くも悪くもこれが今の時代なのだろうかとも思うが。

                                                      

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2006年4月 9日 (日)

あわただしく生きていても春。 冬の終わりを告げるかのような梅の花。 ゆとりがなくても桜の花。 見渡せば菜の花。 ふと気がつくと見落としがちなスミレ。

自然界のショーが始まりいまかいまかと出番を待つ役者たち。 思い思いに輝き地球を彩る。

日々おおらかに優しく感動しながら生きていたいけど生活と音楽にふりまわされ許容量オーバーぎみだ。 いやおうなしに必要のない気分が押し寄せたりのし掛かったりと知らないうちにに心のバランスをたもつのにエネルギーを消耗していたりする。

うーん、ユトリが欲しい。 どこかに行きたい。 情緒や感性に必要な栄養をとりたい。 心の奥の静かな部屋を大切にしなくてはと思いながら日々さ迷いうろついている我が心。

                                                

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2006年4月 6日 (木)

縁で続き縁で広がり縁でつながって行く音楽人生

4月4日ナッテルにて永田雅代という女性鍵盤奏者とデュオをした。

十年ほど前に新宿ピットインの階段で彼女から声をかけられていなかったなら4日のデュオはなかったかもしれない。 当時彼女はまだ22歳くらいで鹿児島の鹿屋から上京して自分のトリオでフリーを演っていたようだ。 私の「渦」というCDを持っていて声をかけたそう。 なぜかその時の事が印象深く、その後も彼女のことがずっと記憶のかたすみにあったのだ。 今年偶然会う機会があり閃いた私は彼女との博打デュオを試みた。 気がついたら彼女の演奏は聴いた事もなく、あの一度のすれ違いだけである。

現在、彼女は私のよく知っている室館彩、小野アキ、関根真理らとも演奏をしていたりサックスの泉やチューバの高岡らのこともよく知っているとのこと。

なんかオカシイ。 仲間の輪が広がりつながり出す。 自然な流れのなかで出会ったりつながったり演奏したり。 このような事は私にとって素敵で幸せな事である。 

思えば今一緒やってる多くの仲間も面白い出会い不思議な出会い感動的な出会いがあり今に至っている。 出会いと縁、そしてそれが広がりつながって行く。 なんとも感慨深いものがある。

                                                 

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2006年4月 3日 (月)

三月のライブを振り返って

まず充実したフリーインプロビゼーションが多かった。 これは幸せな事だ。 イマジネーションの神様に感謝。

とにかく飛ばしたという感触と自分にスイッチが入り出した感じだ。 歌伴は別として曲中心のグループでは、よく決まり切った流れに疑問を感じたり欲求不満を感じたりなすすべもなく降参といった気分にもなるが、今月は比較的快調で楽しくできた気がする。 

素晴らしいメンバーと演れているわけだから贅沢な悩みではあるが、いつでもどこでもよりフリーな方向へ行きたくなり、またその可能性を常に探し機会が来るのを演奏中狙っている。 そしてできる限り試しているのだ。 これが空回りしていると落ち込んだり気持ちが腐りかけるが今月は比較的バランスよくいったかもしれない。 

実験には失敗がつきものだが空回りしている時は大抵しなくてもいい実験をしてしまうか、枠の中でもがいてフラストレーションがどこかで爆発してしまうこともある。 バランスがとれている時は曲を演っていても素直でいることができ適材適所のいい閃きがおとずれる。 これはやり甲斐ではあるが失敗すると自分だけ馬鹿な事をしでかしてしまったかのような気になってしまう。

                                             

一生トライし続けるつもりだが実験中の成功感は麻薬のようなものだ。 であるから失敗感が起きても繰り返している。 成功感にはほんの一瞬でもその先の世界が見えその先の世界への鍵や糸口が見つかりかけるのだ。 これは危険を犯しても止められないし止めるわけにはいかない。

思えばこの気持ちが常に自分の音楽的な姿勢やスタイルの一角を占めている気がする。

                                                   

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2006年4月 2日 (日)

ガオーッ 久しぶりの渋さ!

たくさんの久しぶりの顔、新しい顔、嬉しかった。

イゴウさんのコント、キロウの歌、アヤちゃん、マリちゃん、ペロサヤカの踊り、東洋と若い舞踏の子たち、ドラマーにパーカッションにシンセにホーンセクション。 まだまだつきないけれど久しぶりに第二の故郷へ帰った気分だった。

隣りにシューミーがいてその後ろにリマがいて、あー嬉しいの一言。 理屈や意味はなし、ただただ嬉しかったのだ。 ガオーッ! カブッ! ウーワンワン! ニャンニャン! カーカー

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