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2006年3月 9日 (木)

フリーインプロビゼーションにおける夢

まずソロで瞬間作曲だ! 思い立って三十年以上。 交響曲のようにロングバージョンでいろんな世界をその日そこでその瞬間に表現したいのだ。

アコースティックにおける即興も持続力とその世界を広げて行きたい。

エレクトリックにおける即興も壮大な宇宙のかなたまで広げて行きたい。

夢はつきないが生活、気力、体力、そして時間が年々限られて来ているから、いつまで夢に向かって夢を思いながら生きて行けるのだろうか?  静なる世界、虚空な世界、意味のある世界、ない世界、激しい世界、脅迫観念的世界、爆発、誕生と消滅、攻撃、叫び、恐怖、救い、ユートピア願望、天国、極楽浄土、怒り、狂気、葛藤、平和、争い、情念の世界、優しさ、愛、慈悲、無な世界、などきりがないくらい表現したいのだ。

昔、ラヴェルの「ダフネスとクロエ」を聴いてこのような事を感じ、それを一晩のソロで、しかも即興で表現できないものかと今だに思い続けているのだ。 これは自分の内側にある全ての感覚と心、魂が感じたり考えてきた個人史でもある。

                                                

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コメント

インプロヴァイズ、ということは、何も与えられていない、ということだろう。加藤さんが3/8、「あーうー」で書いているごとく、インプロヴァイズの条件が成り立つ人間などこの世にいない。生まれながら、無脳、無感覚の人間でないかぎり。外界が見えてしまう。その見え方も共同体の約束事(言語、慣習、文化)というフィルタを嵌められて、という条件付きだ。もちろん、共同体に対する反逆、という生き方もあろうが、それとて釈迦の掌の孫悟空じゃあるまいか。インプロヴィゼーション、と思っていても実はプロヴィゼーションなのだ、インプロヴィゼーションは価値、ではない。それを価値とおもいたがるのはなぜなのか?というのは興味あるところだ。

もともと、出せる音、というのは音空間全体、というものから比べればほんのちっぽけなものでしかない。偉大な思想、とはいっても、思想空間全体から比べればどれほどのもんだろうか。言語(楽器、楽譜、スタイル。。文化)とは過去の人類の遺物である。それに乗っかってどこまで遠くに行けるのか?たかが知れている。

。。。などと、ほざいてみたい気もする、春、である。今年の冬はサブかったですね。

投稿: yam | 2006年3月11日 (土) 09時35分

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