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2006年2月

2006年2月27日 (月)

2月26日のガットギターソロ

今年に入って爪のコンディションがどうしても良くならない。 欠けてしまうため長さは不揃いで、おまけに一番よく使う人差し指の爪はタテにき裂が入ってしまっている。

このようなコンディションの中、一つ間違えば爪が欠けたりしてメチャクチャな状態になることを覚悟してのソロだった。

演奏のさなかに思い浮かんだ事があった。 それはトリノオリンピックで金メダルをとった荒川静香選手の事で 自分の世界に集中する、やりたい事を確実にやる、たじろがない、やりきる、などのメンタルな事だった。 彼女の冷静に自己集中する顔が浮かんできて力をもらったような気がする。  最近アスリートという言葉を何かと耳にする。 アスリートという言葉は音楽をする人間にもあてはまるなと思った。

                                            

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2006年2月25日 (土)

近況報告とニュース!

その1、 シューミーのCDが発売中! 今回の作品はオリジナル曲からポップなものを中心に作りました。 是非聴いてもらいたい「皇帝」などシューミーのフリー、ロック他あらゆる世界が満載! 伝説のロックドラマー樋口さんのサポートも必聴ものです。

その2、 五月末から一週間ほどフランスにてコンサート。 シナプスでサガユキと、沖至さんともジョイントライブの予定です。

その3、 サックスの松風さんと2枚目のCDの録音が終了。 年内発売予定です。 メンバーは水谷のベースと外山のドラム、加藤はまたもや譜面もみないで勝手なギターを弾いちゃいました。

その4、 市川「りぶる」のマスターが消息不明です。 これは一大事! 捜索願いも出ています。

                                         

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2006年2月24日 (金)

オリンピックやワールドカップもいいけんど!

運動会なんだから赤組白組に分けるとか、虹にたとえて7色の組に分けるとかしてやってみてもいいのにと思う。

各国の選手がクジ引いて組決めすると日本の選手とアフリカ、共産圏、イスラム圏、ヨーロッパ、南北アメリカとかいろんな国の選手が同じ組になる。 一緒のチームでいろんな国、人種が団結して応援したり勇気づけあったり助け合う。

こんな世界運動会があった方がいいと思うんだけどなっ。 寝言戯言かな? 絶対すてきだと思うんだけどなあ。

想像しただけで感動しちゃうなあ。

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FISをやっていて嬉しい事

もし生活に余裕があり、経済的にもしんどくなく体力も気力もあり余るほどあったなら、もっとフリーインプロビゼーションをやっていたいのだ。

興味を持った人、若いインプロ好きなミュージシャンらと常に音と感性の交流をしていたい。

最近自分のライブをリーダーで積極的に行ってはいないけれど、とにかく少しでもいろんなミュージシャンのプレイを楽しみたいのだ。 そして良いところを感じたいのだ。

FISは月に一度くらいの活動だけれど、呼んだ知らないミュージシャン同士がお互い気に入ったり、先輩と後輩ミュージシャンがいいプレイをし合っていたりすると心から嬉しい。 自分は客になって聴いていたいくらいなのだ。 そしてみんなの笑顔が見れる時、やはり心から嬉しい。

縁が広がって演も広がって行くといいなと思う。

                                       

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2006年2月23日 (木)

フリーを演っていて

あきらかに昔とは違う感覚や意識がある。 楽しむ、無理しない、友好的、受け入れる、などなどである。 まあ好きなセットが多いせいもあるけれど、自分のプレイには昔のように吠えたり噛み付いたり爆音で攻め倒したり無理にこじあけようと戦ったりすることが減ったような気がする。

ブラジルのベーシスト、ルイザン・マイアーと演っていた時に一度カルロス・ジョビントリビュートと題したコンサートに出た事がある。 たしか歌手はビューマというブラジルの女性シンガーだった。

いつものように弾いていて途中で何かが違うと感じたのだ。 よくわからないけれど海と太陽、そしてそれまでに感じたことがないくらい大きくて広い平和な想念を強く感じ優しさに包まれていた。

その時に思った事は、こんな気分や気持ちでフリーインプロビゼーションができないかという事だった。 きっとできるはずだ!

この日以来、自分のどこかにこのような気持ちや意識がある。 きわめて個人的な感覚の一端であるけれど、いつかできるような気がしている。

今でも攻撃的であったり時折切りつけるようなプレイもすることがあるけれど、あの日の演奏以来、自分の内側では何かそれまでとは違う意識がある。 リラックスと関係があり過剰なヤル気や探求心、使命感、ひとりよがりなコダワリなどから一歩離れたマインドでもある。

ガツガツ演りたくもあり突き破りたくもあり閃き突然変異もあり平和友好もありとゆったところか。 まだまだ道程は長い!

                                              

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2006年2月21日 (火)

即興交流

今日は青山「ガボウル」にて即興演奏のセッションであった。

久しぶりに会ったボンバードラミ君は断酒して一年以上になるという。 10キロ以上も痩せてすっかりおだやかな女性に変身していた。 いや、こっちが本当の彼女ではないかなと思う。  チューバの高岡とボンバーと演ったエレクトリックバージョンは楽しかったけど上の階から苦情が来たため早めに終えるはめになり、ならばノーアンプ、アコースティックで演る事になった。 これも楽しく気持ち良かった。  最近は以前と違って気負いがなく、好きに演れて楽しめるのだ。 フリーを演る時はジャズをほとんど持ち込まないようにしている。 いろんなタイプの人間と演る時にジャズ的なアプローチは邪魔になり必要がないと感じる事がよくある。

休憩時間の後はDUOシリーズ。 遊びに来たチューバの若者と高岡のDUOの次はボンバーとのDUO、これも力みなく楽しめた。

遊びに来た人の中に永田雅代という女性ピアニストがいた。 彼女とは十年以上前に新宿ピットインの階段ですれ違った時に会話した覚えがある。 私の出した「渦」というCDが好きで持っていると言っていたのを覚えている。  鹿児島の鹿屋から上京してフリーを演っていると言っていたのが印象的でその後ずっと頭の片隅に彼女の事がひっかかっていたのだ。 あの鹿屋から上京して頑張っているピアニストはどうしているかな、と時折思い出す事があった。 彼女ともう一人途中から来たギタリスト君も加えて最後にみんなで即興。 気負いなく楽しめた一日だった。  断酒して頑張っているボンバー。 十年以上ぶりに会った永田さん。 そして高岡、チューバの若者とギタリスト君。 嬉しい一日だった。

永田雅代さんとは四月に入谷のナッテルハウスでDUOを演ってみることにした。 博打即興をやるのは楽しみだ。

                                                

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2006年2月20日 (月)

オーラの事

よく、大スターに会ったらすごいオーラを発していたとかゆう話を聞くことがある。

私は少し違う見方をする。

それはどちらかというと気のエネルギーである事の方が多いのではないか? 自分に自信があったりのし上がってスターでいるところから来る貫禄や発しているエネルギーの方で、オーラとは少し別物のような気がする。 中にはすてきなオーラを発している大スターもいるとは思うけれど 、すごいオーラとはもっと普通に生きていて しかもつつましやかで優しく謙虚で愛情深い人のオーラではないかと思うのだ。 そんな人のオーラは人を圧倒するようなたぐいの物ではなく、澄んでいて人を楽にするものではないかなと思うのだ。

ちなみに私のオーラはエッチ系かな? 他人のオーラが見えるわけではないけれど何かは感じているような気がする。

                                                  

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ふと思えば

僕らはイスラム教やアラーの神、そしてモハメッドの事をまったく知らないのだ。 仏教やキリスト教には慣れ親しんでいてもイスラム教となると皆目わからない。  仏教やキリスト教に関係した映画や物語、そして僕らが受けた教育のせいでお釈迦様やイエスキリスト、マリア様、その他数々の聖人や高僧はどこかしら時代のヒーローとして親しみ感動もしていたりするけれど、これは西洋をお手本にしアメリカという国の配下として生きている日本のありかたとも関係している。 イスラムの世界にだって偉大な歴史のヒーロー、聖人たちがいただろうし感動的な伝記や物語などもあるはずである。

ベンハーという映画にイエスキリストが出て来る場面は感動的だし「野バラ」という昔の映画の中で綺麗なカソリックの先生がマリア様に向かって一心に祈る姿も感動的だ。 その他言い出したらきりがないくらい仏教やキリスト教には慣れ親しんでいるのである。

知らないでいるのと知っているでは親近感も違うだろうし理解も違うと思う。 なぜテロなのか? 長い歴史があり僕らの知らない真実があるはずである。 そして知る事によって好きになったり親しみをもっと持てるようになると思うのだ。

北朝鮮にだって偉大な高僧がいたり感動的な歴史上の話や物語もあるはずだけど何も知らないのである。

少し知って見たくなって来た。

                                                

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2006年2月18日 (土)

おっくうだ!おっくうだ!

風呂に入るのも散髪するのも歯を磨くのも掃除するのも整理するのも仕事とるのもギター磨くのも弦張りかえるのもアンプ治すのも・・・・おっくうだおっくうだおっくうだ。

妄想はおっくうじゃあない。 無限だし自由だし動かなくてもいいから楽チンだ。  口と肛門が今日から逆になりました。  ですから、これからは食事するときにパンツを脱ぎます。  逆立ちして歩いていると手がだんだんと足のようになり、足が痩せて手のようになります。チンチンは潜望鏡のように自由に動いていてレーダーのような役割も果たすようになります。  ただウンコする時は慣れていないので最初はつらいかもしれない。 いつも目と鼻の先です。 ウンコが硬くて出にくい時は以前と違って苦労しません。 なぜなら、歯があるからです。 歯でかみかみすればいいからです。 もし美味しいウンコの時はまた食べちゃえばいいのです。

このような光景を絵に描いたらと思うと、あまりにも馬鹿げていて想像しただけでゲテゲテ、オカシ気持ち悪い。

なぜかこうして口と肛門の役割を逆にしても生きて行けるような気がしてならない。 ゲテゲテ、ゲテゲテ

                                               

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2006年2月17日 (金)

ギター弾きではあるけれど!

ギターを弾き音楽を演っているけれど、それは生きていると言う事や人間の事など様々な事を学ぶための取っ掛かりにすぎないと思うことがある。 それがたまたまギターでありジャズであり音楽である。 ギターを弾いていたせいでいろんな人と出会い、時には宗教にたどりついたり歴史が見えるようになったり、文学や精神世界に出会ったり、様々な芸術に出会ったりして人間の心の分野での歴史が見えてきたり。

とにかくなぜ生まれなんのために生きているのかという事に気づきはじめたり、学んだりする取っ掛かりが自分にとってはギターであり音楽であるような気がするのである。

しかもまだまだ発展途上魂で、落ち着きはなく、しかも多感症であっち行ったりこっち行ったり、転んだり滑ったり煩悩、妄想、迷走まっさかりではあるが。

ピヨピヨ、あーっひよ子になっちゃった。 何を言ってもピヨピヨピヨ、何をやってもピヨピヨピヨ。 ピヨピヨピヨピヨ止まらないー

                                            

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2006年2月16日 (木)

これはすごい事である!

市川に「りぶる」というライブハウスがある。  マスターの須田さんは癌に侵されていてここ数年入退院を繰り返している。 もうとても店に出れるような体調ではないにもかかわらず毎日来て頑張っているのだ。 モルヒネの助けを借り何も食べれない状態で水分をとりながら、かろうじて体を動かしている姿を見ていて感じた事がある。

それでも須田さんは僕らに幸せの場所とささやかな幸せを提供し続けてくれているのだ。思えばライブハウス、しかも営利を度外視してまでも続けてくれている店とマスターは僕らに幸せやヤリガイを提供し与えてくれているのだ。 けっして金になるとは言えないけれど、こうして今にも倒れそうになりながらも店に出て来るマスター須田さんは光り輝いていると思う。

これはとんでもないことだと思う。 普通なら家で寝たきりになっているはずである。

                                              

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2006年2月14日 (火)

グッドマンというライブハウス

ここには普段がある。 普段とは日常であり音楽と生活の普段である。 気負いはなく無理もなくそのままでいていつものようにである。

昔からフリーを中心にやってきたグッドマンという店は今年の六月で閉店になるという。 三月に新しい場所を探すそうだけど是非続けてほしいと思う。

このようなライブハウスで自分と向き合って表現活動して行くことは、かけがえのない事だと思うからだ。 守るものもなく失うものもなくとりつくろうこともなくである。 なにも大きな会場を満員にして演奏するだけが幸せな事ではない。 このようなチープなライブハウスで活動する中で感じたり発見したり悩んだりしながら成長して行く事も幸せな事だと思う。店も普段通りなら演る方も普段通り。 

別にショーやコンサートのような大袈裟なものではなく、ただ音楽する。 ただひたすら追求する、楽しむ、実験する、遊んでみる。 何でもやってみる。 きっとその先が見えると思う。

                                            

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2006年2月13日 (月)

遂にシューミーバンドのCDが発売された

聞けば聞くほどクラクラする不思議な人生を歩んで来たシューミー。 

はるか昔、自由音楽と称しフリーを演っていた正体不明の父親。 これまた謎のピアニストであり詩人であった母親。 日本の音楽史において数奇な運命を生きた育ての父親、宅孝二。 時代を超えた自由な生き方をした親たちと時に離れ離れになりながらも唯我独尊。 そこに登場する人間もこれまた驚きである。 私より遥か以前にはフェダインの川下、不破らとも接触。作家の辺見庸は友人だそう。 スパイ映画に出てくるような大物が彼氏だったこともあるというから抱腹絶倒。 今に自叙伝でも書いてもらいたいくらいだ。

けっして表舞台に立とうとしなかった彼女の親たち同様、シューミーもただひたすら音楽するだけである。 ずっと一緒に活動して来て今回のCDは心から記念すべき貴重な作品だと思う。 心からオメデトウと言いたい。

                                    

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2006年2月10日 (金)

なぜだセカンド

なぜなぜ虫が騒ぎ出すとしまつにおえない。 おかげで私の事を偏屈だと思ったやつらがいるようである。 演奏前に曲を決めるのもなぜなぜ? ずっとインテンポもなぜなぜ? ずっとインコードも寸法通りもなぜなぜ? きりがない。 考えようによってはバカげてもいるが、なぜなぜ病は今でも奥に潜んでいて浮上して攻撃開始なんてこともまれにある。 全軍総攻撃開始せよ! あらゆる手段をこうじて局面を打開せよ! なんて演ってるうちにフリーインプロビゼーションを演るようになって行ったともいえる。  いつも通りもいいけれど私はこう思う、こんなアイディアがイメージが閃きがついそこまでやって来たからには問い掛けずにはいられないし試してもみたくなってしまう。 あーなんてワガママちゃん、後の祭りでしょう。

幸いブラジル人ベーシスト、故ルイザン、今やっているたくさんの相手も喜んでくれたりオオメニ見てくれたり許してくれているようである。 有り難き幸せ、みなさまのふところの深い器量に感謝せねば。

                                              

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なぜだ?

なぜジャズの歌パンの前にバンドだけで数曲演奏するのだ? バラードは半分しかソロがなくサビから歌いだすのだろうか? フォーバースやエイトバース、いったいあれはなんなんだ? それがジャズなんだろか? 疑問持たないんだろか? 変だと思うことはないんだろか? なぜだなぜだ? なんて思ったりする人はいないんだろか?

なぜなぜ虫がうごめき出してしまった。 そおいえば昔ブラジル音楽演っていた時の事を思い出した。 みんなでブラジル大好きサンバ大好きで演っていた時に、突然なぜなぜ虫がうごめき出してしまった。 俺たち日本人じゃないか、いったいこれはなんだ? 俺たちは何をやっているのだ?  よーし見ておれ! 鼓奏方で一撃必殺だ! ブラジル人見ておれ! これが大和魂リズムだぞい! エイーッ、イヨッ。ポン!

あちゃー またやっちゃった。 こうしてまともな仕事が来なくなりました。 ワッハッハッ

                                                

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2006年2月 7日 (火)

価値感の違いとおもしろくないジャズメン

価値感の違い、見てる方向の違い、今いるところや信じている事の違いなどは人間界では日常茶飯事だ。  よく二次元にいる人からは三次元にいる人が見えない。 三次元にいる人からは四次元にいる人が見えないという話を聞く。  思いが強く執着も強く、今いる世界とやっている事や考え方にはまっていると、他の人や世界が見えない事がある。 わからない、理解できない、信じられないなどなどである。

ここまでならまだよいのだが、その先が問題だ。 否定や正か否かなどを言い始めたりあげくのはては間違っていると言う場合も起きる。 他の宗教を否定したり知らないというだけで決め付けたり恐れたりもする。 これ戦争のなくならない原因でもあると思うのだ。  ジャズの世界だけではあるけれど、様々な集まりを経て来た私には狭い音楽界にもかかわらずいろいろ感じる事がある。

知らないというだけで好き勝手な事を思い言い知ろうともしない。 興味がなければわざわざ知る必要もないと言えなくもないのだが、淋しく感じる事もある。 住めば都、一緒にいれば情もわき身内感覚、同じ釜の飯感覚など意外と単純な現実が多いいにもかかわらず無知をさらけ出す事は多い。

おもしろくないジャズメン。

あえてエールを送りたい。 おもしろければいいというものでもないと思うのだ。 簡単に面白い方向には行かず、ふみとどまって一生懸命頑張っているジャズメンは、たとえ今面白くなくとも生き方が美しいと感じる事がある。 一つのコトにこだわりちょっとやそこらでは前に進まない真面目で頑固なジャズメン。 氾濫するおかしな面白いと言われる音楽の世界の中で死守粉塵の生き方は逆に美しくもあると思う。 つまらないと思う他人がいてもバップをやり続けているジャズメン。 美しい生き方であると思う事もあるのだ。  ちなみに私は好き勝手にやっているのではあるが。

                                             

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2006年2月 6日 (月)

今日の感覚

私はギターが弾けません。 音楽の事はわかりません。 何も見えません。 何も感じていません。 やる気も起きません。

と、こんな感触で一日が始まり半日が過ぎようとする頃、音楽の私がそろそろ目を覚まし始める。  それもノロッ、ノソッ、モソモソッ。

思えばこの状態でライブハウスに行き、1杯のビールで目が覚める。 あとは見えない何者かが降りて来て反応し閃きをもたらせる。 何もできそうになかったのに何故か奇跡が起きたと感じて神様アリガトウ。

こんな日が大半かもしれない。

                                   

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ルイザン・マイア

中目黒「楽屋」にてルイザンの追悼イベントに参加した。

つくづくルイザンは偉大なベーシストだったんだなあと思う 。 確信に満ちたプレイ、無駄はなく堂々としていて力強く優しい。 しかも温かい。  これはちょっとやそこらでは真似できるものではない。 わかっていてもできることではない。 ルイザンだからできたのだと思う。 彼を聴きまくってコピーしたとしても彼の意識、魂まではコピー出来ないわけで無駄なことだと思う。

ゆるぎない音楽愛から来る絶対的で確信と自信に満ちた音。  あらためて彼に出会い長年一緒に演奏できたことを感謝したい思いだ。

強烈だったルイザンの音を浴びた日本の若いブラジル音楽家たちには心から良いアーティストに成長して行って欲しいと思う。

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2006年2月 3日 (金)

ゲーッ寒い!

バイトから帰る頃、急に風が強くなり寒くなった。 自転車が前に進まないせいで25分あれば帰り着くところ40分もかかってしまった。なんという冷え込み方だい、まったくぅ。  

思えば、俺のようなやつはバイトしていて良かったと思うことがある。 ギターばかり弾いていて世間知らず。 社会性にも欠けている。 仕事は器材があるのと夜遅いので車でヌクヌク寒さ知らずだ。 こうして週に数回バイトし、世間様と少しでも触れ合う機会は人間修行とも感じるのだ。 もちろんバイトなんかしたくない。 しかも人付き合いは不器用だし挨拶だって上手いとはいえない。 今だに気さくに声をかけたり世間話すら上手いとはいえない。 

であるからバイトで感じることは以外と多いいのだ。 普通に挨拶をし気さくに話せる人、それだけで頭が上がらない。ギターが上手いなどとチヤホヤされ、へたすると尊敬までされ憧れられたりするけれど、それは音楽での事だ。 アーティストだって1人間、人間としての視野に立てば頑張っているパートの主婦さんたちや再就職して頑張っている方たちには頭が上がらない思いだ。

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2006年2月 2日 (木)

絵の中に住みたい!

銭湯の湯船の上を見上げると風呂絵師の描いたなんとなく由比ヶ浜からみた富士山、宮城県の松島、西伊豆のように見える絵が描かれている。  海沿いの岬に描かれた道を漁師が歩いている。 海は明るい青が多く春うらやか、ホンノリとやってくる潮風と草木の香り。 温度は24度くらい、さわやかな潮風 が吹いている。

そんな銭湯の絵の中に入ってみたい。 入って散歩できたらなあ。

                                               

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妄想前世

真珠湾攻撃のため まさに出撃せんと空母赤木の甲板上に集結したパイロットの中の一人が私だったような気がする。

そう、零戦のパイロットだったのだ。  あの場面をフィルムで見ると そしてそれに続く連合艦隊が太平洋を突き進む場面、しかも軍艦マーチが流れていたりすると決まって胸がはりさけそうになる。 感きわまりそうになってしまい戦慄が走るのだ。

自分は右翼でもないし戦争推進派でもないはずなのになぜだろう?

日本の戦闘機が南海上空で火だるまになって落ちて行く光景。 決死の体当たりの光景は胸が締め付けられる思いだ。

あの戦闘機の中に俺はいたのではないか? そんな思いが離れないので遂に 「聞けわだつみの声」 という特攻隊で亡くなった若者の手記を集めた本を前編、後編と買って読んでみたり、戦時中の全ての戦闘機乗りの詳細な記録本などを読んでみた事がある。

ある者はヨーロッパの哲学書、思想家の本を読みあさり、ある者は母親、家族の事を思い慕い感謝し親を心配し思いやったりしている。 もし戦闘機乗りであったなら勇猛果敢ではなかったに違いない。 恐がりだし臆病だったに違いない。 戦闘中に逃げ出してしまったかも知れない。

などと思い巡らしていると戦火に散って行った当時の若者たちに頭があがらない思いだ。

                                                   

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2006年2月 1日 (水)

妄想は続く

人が何度も生まれ変わるとしたら、博物館に行って展示されている古代人のミイラを見ているうちに万が一ではあるけれど それが過去に生きていた自分だったなんていう事があるかもしれない。

ミイラを見ているうちに懐かしい記憶がよみがえる。 体中と心に戦慄が走り押さえ切れない感覚が波のようにやって来る。 涙がとめどなく流れ落ちる。

そんな事があるかもしれない。

シルクロード展を見に行ったドラマーの楠本さんがおかしな事を言うのだ。 展示されていた女性のミイラを見て 「あれシューミーだよ」 それを聞いた私は心の中で 「やっぱりな」と思ったのだ。

二十年前にロブノールという曲を作ったきっかけは まさにシューミーだった。 当時六本木にあったロブ乃ールという店のママからロブノール湖という謎の湖が中国のタクラマカン砂漠にあり、そこで目だけ腐っていない不思議なミイラが発見されたという話を聞かされた。 しかもそれにまつわる悲しい恋の話までオマケつきで私にロブノールという曲を作ってくれと言うのだ。

話を聞いたとたん その不思議なミイラは目の前にいるシューミーではないかと直感したのだ。  あわてて家に帰るなりロブノールという曲を作ろうとした。 5千年前の物語があふれそうなくらい浮かび、いや思い出したような感覚だと思う。 曲はまるで上からの啓示かのごとく スルスルと五分もたたないうちに出来上がってしまった。 そしてロブノールにまつわる妄想はその後今日まではてしなく続いていて尽きる事がない。

                                                

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